『時をかける少女』(1983年)

『時をかける少女』(1983年)

「ハウス」
原田知世は、オーディションでは次点
生身の少女像ではない
大林信彦は広告畑から映画監督に転身
「君の名は」
The Little Girl Who Conquered Time
製作 角川春樹
ロケの多くを広島県尾道市(一部は竹原市)
併映は『探偵物語』
原田知世は、第7回日本アカデミー賞新人俳優賞
一夫の父親(写真)- 松任谷正隆
ポスト薬師丸ひろ子を求めて「角川映画・東映大型女優一般募集オーディション」
角川は「本当は自分が結婚したいくらいだけど、年齢の差で無理だから、息子の嫁にしたい」

併映は薬師丸ひろ子主演の『探偵物語』で、観客動員は保証されていた
角川と大林は本作1本を原田にプレゼントして映画界から辞めさせようと考えていた
原田の中学の卒業から高校の入学までの短期間に強行軍28日間で撮影した

本当の断崖絶壁で撮影
「もう俳優なんてやってられない! 平凡なサラリーマンになって、休みの日には妻と子供を連れて焼肉屋に行くような生活をするんだ!」

原田「床に倒れていたのに、起き上がって歌い出したり、何をやっているのか分かりませんでした。見物人のいるロケ撮影ではすっごく恥ずかしかった」

堀川吾朗が深町一夫に席を譲るシーンは、その後の二人の位置関係を暗示

ラベンダーは、本作で広く知られるようになったといわれる

火事騒ぎから帰宅する原田が石畳に反響する下駄の足音におののき、口を塞がれるシーン。

カレンダーは公開された1983年のもの。ラストの場面は1994年。この年の日付と曜日の対応が1983年とまったく同じ。

ラストのカーテンコールの演出
深作欣二『蒲田行進曲』