『トラック野郎・爆走一番星』

『トラック野郎・爆走一番星』

あべ静江
加茂さくら

公開 日本の旗1975年12月27日
上映時間 96分

『爆走一番星』は当時の東映社長・岡田茂による命名

台貫場

堀釜太郎(ラビット関根)

ボルサリーノ2の援護で警察の追跡を振り切り

岡田は「全国各地で『トラック野郎』が『寅さん』に圧勝した」
松竹の奥山融専務が「全国は別として大都市の限られた代表封切館に於いては予想通り『寅さん』が『トラック野郎』を完全にリードしている」
『月刊ビデオ&ミュージック』1976年1月号「三社の予想配給収入は、東映が16億円、松竹が13億円、東宝が11億円と、東映が記録的な好配収でトップに立ち、宿願の松竹を押さえたことになる」。
『トラック野郎』は基本20日間の興行で、寅さんは50日も60日も上映を続けるため、比較は難しい。また『寅さん』と併映作の2本を劇場に掛けている間、東映は4 – 6本を掛ける計算になり効率も悪く、正月興行全体の利益率でいえば、松竹が上回っていたものと考えられる。

けんか空手 極真無頼拳
原作:梶原一騎、

全集は鈴木則文監督の私物

自分なくしの旅(©️みうらじゅん)

先生は「『愚図』でしょ」、女学生は声を揃えて『心のこり』
「クソが屁かぶって何が悪い」
「鼻でもひん曲げてやろうか」
「いいかげんにしろよ。昔はどうでも今は仲間じゃねえか」
「市民なんてどこにいる? 金持ちと貧乏人の二通りじゃねえか!」
晴れ着やお餅
「バカ野郎、子供が帰りを待っているんだ。よし、俺が長崎まで送ってやる。乗れ」
「おっかあのいねえ子は寂しいもんだぜ、せめて親父が傍にいてやらるえとな」と、懐から無造作に札束を取り出して渡す。