岐阜で騙される
学生時代、僕はボランティアで高齢者施設を回って、落語を披露していました。ある日、岐阜の施設での落語会に呼んでもらえることに。会場に着いてみると、他の出演者はなんと全員が本物のプロ落語家とお囃子さん。僕だけが学生という、い […]
明大前から浅草まで
前座時代、とにかくお金がありませんでした。バイトもできず、もらえる「ワリ」は一日に千円札一枚。文字通り、その一枚を握りしめて暮らしていました。交通費さえ惜しいので、明大前から浅草演芸ホールまで歩いて通っていたんです。まず […]
覚悟で乗り切る徹夜稽古
落語界って、ちょっと不思議な世界です。自分の師匠だけじゃなく、いろんな師匠から芸をタダで教わることができる。……いや、これ、普通の社会では絶対にありえないことですよね。だって、ベテラン社員が他社の新人にマンツーマン指導な […]
スナックでマイケル・ジャクソン
落語界には、時々「本物だ」と思わず唸る師匠がいます。林家たい平師匠――『笑点』のオレンジ色のあの方。そのタフさと、芸人魂の底力は、僕の人生観を大きく変えてくれました。ある年、函館でたい平師匠の独演会がありました。師匠が別 […]
「プリン買ってこい」
新宿の伊勢丹の近くに、落語ファンの聖地「末廣亭」があります。終戦直後から続く老舗の寄席で、月末には「余一会」という特別な日があるんです。この日ばかりは、普段は一緒の高座に並ばない、落語界のスターたちが大集合。まさに夢のオ […]
“スラスラ”じゃなく“チャーミング”
僕が「落語家になってよかったなあ」と感じる瞬間はいろいろありますが、その中でも忘れられないのは、志の輔師匠の舞台を袖で見せていただいたときのことです。場所はパルコ劇場。三時間、まさに志の輔師匠の独壇場。袖で見ている僕も、 […]
“オー!”が言えなかった僕
大学三年生の春、僕も一度は「普通に就職しようかな」と考えていた時期がありました。東大の落語研究会には入っていたものの、プロの落語家になろうなんて、最初から決めていたわけではありません。「なんとなく、面白いことができたらい […]
「声がいい」──そのひと言が僕の背中を押した
「お兄さん、声がいいね」。たった一言の何気ない褒め言葉でしたが、私はその言葉に背中を押されるようにして、人生の舵を大きく切る決心をしました。 私が落語のボランティア公演を始めたきっかけは、学生落語の大会「策伝大 […]
らくごを触る――ユニバーサル落語絵本づくり
私が上京する前、テレビで見た一本の特集番組がずっと心に残っていました。赤塚不二夫さんが、あの名キャラクター・ニャロメを使って、点字絵本を制作していたのです。目の見えない子どもたちにも楽しい世界を届けたいという思いに、私は […]
「落語家、俳句で食いつなぐ」
二〇二〇年の春。人々はマスク越しに不安と閉塞感を分かち合い、日常のほころびを縫い合わせるのに精一杯だった。外出自粛、寄席も中止。落語家にとって、こんなにも“声”を持て余す季節があっただろうか。 だが、そんな最中にも『プレ […]