「最上川舟唄」

2021年の春。世界がまだ重たい空気に包まれていたあの頃、私は師匠・春風亭昇太から、思いがけない一言をいただきました。「おめでとう。真打だよ。」その瞬間、不思議なくらい実感は湧きませんでした。長い階段を登ってきたはずなの […]

「約束の舞台」

「真打になったら、いつか安田講堂で落語をやってほしい。」あの日、大勢の卒業生のまえで、当時の副学長がおっしゃったひと言。それは、私の胸の奥に静かに火を灯す言葉となりました。東京大学の落語研究会、いわゆる“落研”で落語に出 […]

「月一本の約束」

前座時代、師匠にこう言われました。「月に一本でいい。新作落語を書いて持ってこい」師匠は、そのたびに拙い台本を丁寧に読んでくださり、講評までしてくださるのです。今になって思えば、あれほど贅沢で、ありがたい時間はありませんで […]

「師匠のひと言 ほったらかしの極意」

「お前、天気に興味はないか?」それは、何の前触れもなく師匠がふともらした一言でした。「天気ですか? とくに興味はないですけど」そう答えると、師匠は静かに言いました。「気象予報士の資格、取ってみたら?」冗談かと思ったその言 […]

「メロンと師匠と、声が消えた日」

前座の後半、3年目、4年目、毎月四十本ぐらいの仕事をこなすようになっていたころ、僕はすっかり疲れ果てていた。自ら望んだことだとはいえ、体がついていかない。体調管理はプロとして当然だという点は重々承知していたが、現実は「気 […]

「腕の歯形」

私は昔から「みんなと一緒」がどうにも苦手でした。協調性ゼロ、団体行動アレルギー、集団生活ではすぐ拒否反応が出る仕様です。5歳のころ、岡山市内の保育園から赤磐市(当時は赤磐郡)の幼稚園に転園したのですが、そこで目にしたのは […]

「リピートシメスダテ」

小学校高学年になっても、 自分勝手で、運動会の創作ダンスなどを踊りませんでした。理由は簡単。体操服を着せられるのが嫌だったから。ただそれだけのこと。人が何を思おうが、それは「その人の世界」で起きているだけのこと。私の世界 […]

「防弾ガラスになるまで」

落語家になる――そう決めたとき、私はもう、羽織袴で高座に立ち、喝采を浴びる自分の姿を思い描いておりました。ところが、現実に足を踏み入れたのは、寄席の“楽屋”という名の異世界。そこは、笑いの宇宙の裏側であり、修業という名の […]

「ご唱和ください」

落語の世界に入ると、まず待っているのは、寄席での修業である。「前座」と呼ばれる新人は、毎日、寄席の楽屋で、お茶出し、師匠方の着物の世話、出番の管理、高座返し……といった数々の仕事を、黙々とこなす。高座返しとは、落語家が噺 […]

「師匠の背中」

落語の世界に入って、まず驚いたことがありました。師匠が一から十まで丁寧に教えてくれる――そんな甘い世界ではなかったのです。「ここで笑いを取るんだよ」「こう間を取りなさい」などという指導は、ほとんどありません。師匠は多くを […]