誰も書かなかった東武鉄道
誰も書かなかった東武鉄道
河出書房新社
渡部史絵
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戦後の復興期に、北千住から東京や新橋への地下鉄道の建設許可を運輸省に申請するが、認可されなかった
マンモス団地「松原団地」
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伊勢崎線から日比谷線への乗り換え 北千住
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観光列車を走らせることで、不採算路線を生みだしてしまった例
JR九州
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スペーシア100系には、列車の前後から旅客を非難させる非常用の貫通扉は設置されておらず、地下鉄に乗り入れることは不可能
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東武鉄道が誕生したのは1897(明治30)
繊維産業が活気づいていた群馬県や栃木県などの北関東と東京を結ぶ輸送手段
声をあげたのは川崎銀行
1899年に北千住~久喜駅間が開業
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便利な複々線化だが、完成するまでには用地の買収、建設費のねん出などの多額の費用と、長い工期が必要となり、計画から完成まで数十年かかることはざらにある話しだ。そのため、計画段階で将来の乗客数や社会変化など、さまざまの試算をしなくてはならない。
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自動改札機が登場してから20年後の1992年まで行なわれなかった理由は、改札に人がいなくなるため、労使双方の理解が必要であったため。
改札機の内部には、ターンテーブルと呼ばれる乗車券の向きを変える仕組みが備えられ、切符を180度スピンさせ垂直状態になり、磁気センサーが読み取れるような位置に向きを変えて乗車券情報を読み取り、表向きで取りだし口に出すことができる。
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押上自立式電波塔
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業平橋駅
かつて広大な貨物ヤードが整備されていた
貨物で運ばれてきた荷物は
ここで船積み用に仕立てられ、東京の下町や隅田川を下って全国各地に送ることもしていた
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当時流行していた正面2枚窓の「湘南顔」と呼ばれるスタイル
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8000系は通勤用であるため、トイレなどは設置されておらず
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日光軌道線で活躍していた路面電車は岡山の市街地
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玉ノ井駅、1956年の売春防止法
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当時の東武鉄道車両のカラーリングに合わせたものだと推測されるが、このオレンジ制服に、現場の社員は戸惑いもあった
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日光・鬼怒川地区
東日本大震災の影響
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運転台の窓が踏切事故の対策で上がったために、頬面が広くなり、おかめ顔
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女性アテンダントが乗務
車掌と一緒。甘いロマンスが生まれ、結婚にいたることもあった
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ステンレスのギラギラした車体に、オレンジ色のストライプが貼られている標準塗装
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クリーム単色塗装にすると、石灰で書いたスローガンが目立たない