『言葉の夕立』

『言葉の夕立』

夏になりますとね、 皆さん口をそろえて言います。 「暑いですねぇ」 ところが落語家は、 暑いほど、うれしい。

理由は単純で、夏の噺は“涼しさ”を作れるからです。

どう作るか。 夕立が降って、雷が鳴って、縁側で酒を飲んで、風がすっと通る。 聞いているだけで、身体の温度が一段下がる。

噺の中だけ、ひんやりする。これが落語の得です。 その仕組みがいちばん分かりやすいのが、落語「青菜」。

お屋敷で涼しい思いをした植木屋が、裏長屋に帰って、同じことをやろうとする。 酒は柳蔭、肴は青菜のおひたし。――ここまで聞くと、もう涼しい。 ところが、この「青菜」が曲者です。何の野菜か、わからない。 ほうれん草では季節外れ。小松菜か? しろ菜か?結論――誰も知らない。 しかも噺の中では、その青菜、結局出てこない。 ここが肝です。涼しさを作るのに、青菜の正解は要らない。 必要なのは「正しい野菜」じゃなく、「涼しい気配」なんです。 細かい正解は、むしろ曖昧にして想像させる この方法で二百年やってきた。 それで誰も困っていない。むしろ、ちゃんと涼しくなる。 落語家にとっていちばん大事なのは、正確さじゃない。 「暑いのに、なぜか涼しく感じた」その錯覚をつくることです。 夏の寄席は冷房じゃありません。言葉の夕立で、頭の中を涼ませている。