50.鼠穴
遊び暮らし、父の遺産をすっかり食い潰した竹次郎は、とうとう困りはて、成功した兄を頼って訪ねてくる。兄は同じ遺産を元手に商売を起こし、今では表通りに大店を構える身。竹次郎は「いくらでもいい、元手を貸してくれ」と頭を下げる。兄は静かに「商いは自分で立てるものだ」と言って“元手”として包みを渡す。ところが開けてみると三文。子供の駄賃ほどの額だ。
「バカにしやがって!」と怒鳴る竹次郎に、兄は低い声で言う。
「酒に溺れたままじゃ、いくら渡したって消えるだけだ。三文で十分だ。お前が本気になるなら、いつでも応援する」
悔しさが逆に胸火をつけた竹次郎は、酒を断ち、昼夜を惜しまず働いた。十年の歳月、商いの才覚を磨き、妻子を持ち、兄の店に劣らぬ大店を築き、土蔵も三つ建つまでに成り上がった。
十年後、その三文に利子として二両を添え「叩き返してやる」と兄の家を訪ねると、兄はにっこり笑い、
「お前を突き放したのは、苦労して生まれ変わってほしかったからだ。よくぞここまで来たな」
と頭を下げた。兄弟は十年ぶりに盃を交わし、夜更けまで語り合う。
帰ろうとする竹次郎に兄は、
「万一お前の土蔵が燃えたら、俺の身代を全部やる。安心して泊まれ」
と言い切る。そこまで言うならと、竹次郎は泊まる。
その夜──遠くで半鐘が鳴る。火元は自分の店の方向。
「しまった!鼠穴に目塗りをしておけと言い忘れた!」
竹次郎は取り乱す。三つの蔵も店もすべて全焼し、妻は病に伏せ、奉公人は去り、娘は身売りを申し出、さらに借りた金はスリに盗まれ、竹次郎はついに縄を木にかけ首を吊ろうとする。
その瞬間──
「おい!どうした、うなされているぞ!」
兄に揺り起こされる。周囲を見れば兄の家の客間。蔵も火事も娘の身売りも、すべて夢だった。
1 兄の“三文”は「見放すため」ではなく「立たせるため」
兄の三文は、単なるケチではない。依存を断つための「最低限の突き放し」=再生のための教育的行動だった。
竹次郎は“三文の屈辱”を糧に、立ち直る。
2 夢の地獄は「成功後の不安」の象徴
蔵が三つ建ち、大店を構えても、竹次郎の心は脆い。
夢の中の破滅は、成功者が常に抱える、「一夜で失うかもしれない恐怖」を戯画化したもの。
3 小さなものが大きくなる
兄がくれた三文が人生を変えたように、竹次郎の“鼠穴”も、小さく見えて人生を左右する大きな弱点。
