39.悋気の火の玉

浅草・花川戸の鼻緒問屋、立花屋の旦那は、「焼きざましの餅」のように固い男。若い頃から浮気ひとつせず、女房一筋であった。ところがある日、仲間の寄り合いの帰りに吉原へ誘われ、つい魔がさす。初めて遊んだその夜が忘れられず、翌晩も翌々晩も吉原通い。やがて「こんなに通っていては損だ」と商人らしい計算が働き、花魁を身請けして根岸に妾宅を構える。毎月二十日は本宅、十日は根岸。
しかし女の勘は鋭い。正妻は旦那の挙動不審を察し、人を使って探らせたところ、案の定妾宅が発覚する。激しい嫉妬に燃え、「悋気は女の慎むところ」とは言うが、もはや遠火どころか火事場の炎。帰宅した旦那に「お帰りなさいまし!」と怒鳴り、茶を出せと言えば「わたしのお茶なんか美味しくございませんでしょ、フン」、飯をよそえと言えば「お給仕なんか要りませんでしょ、フン」。この“フン”の連打に耐えかね、旦那は家を飛び出して根岸へ。以後は妾宅二十日、本宅十日。ついには帰らぬ日も多くなる。

堪忍袋の緒が切れた正妻は「丑の刻参り」で五寸釘を打ち、妾も負けじと六寸、七寸と打ち返す。杉の木は穴だらけで風通しのよいメッシュ状に。だが「人を呪わば穴ふたつ」、ついに二人とも同じ日に死んでしまう。
残された旦那は同日に二つの葬式を出し、評判は「花川戸と根岸から火の玉が夜な夜な飛び、大音寺前でけんかする」。信用問題と聞き、番頭を伴って真夜中の寺へ仲裁に赴く。まず根岸の火の玉を呼び寄せ、「世間体が悪い、頼むから仲直りを」と話しながら「お前さん、いい火を燃やしてる。ちょっと煙草に火をつけさせておくれ」と一服。すると今度は花川戸の方からもう一つ火の玉が飛んでくる。旦那は同じように宥めながら「こっちの火でもう一服」と言った瞬間、火の玉が凄みを帯びて一言――
「わたしの火じゃ、美味しくございませんでしょ……フン!」

 

悋気×経済勘定:遊興の高コストを“身請け”で最適化する商人体質が、家庭と倫理を崩す皮肉。

呪いの可笑しみ:丑の刻参りの怪異。釘の寸法の競り上げ(五寸→九寸)。

死後も続く夫婦喧嘩:火の玉の対立にまで延長される男女の確執を、旦那の“火をもらう”俗っぽさでズラし、最後は女房の決め台詞で締める。