29.たらちね
長屋暮らしの独り者・八五郎が大家に呼ばれる。てっきり家賃の催促と思いきや、年頃で器量よし、嫁入り道具も揃った娘との縁談だという。ただし難点が一つ、言葉があまりに改まり過ぎて日常会話が通じない。大家自身、道で挨拶され、返す言葉に窮したという。八五郎は「ざっくばらんな俺と暮らせばすぐ直る」と請け合い、祝言へ。
二人きりになると、八五郎が名を尋ねる。嫁は「父は元京の産、姓は安藤、名は慶三、字を五光、母は千代女…母三十三の折に丹頂を夢みて、垂乳根の胎内より出づるときは鶴女、長じて清女と改む」と滔々。八五郎は名前全部と取り違え、写しを読もうとしては読経の節になり「チーン、どうぞご焼香を」。
翌朝、妻は先に起きて朝餉を整えようとするが、米の在り処を「シラゲの在り処はいずくんぞや」と問う。八五郎は「シラミはねぇ」と見当違い。味噌汁の具を求めて来た棒手振り八百屋にも「門前に市をなすおのこ、ひと文字草を…」と雅語で指図し、相手は思わず平伏。ようやく膳が整い、妻が寝所へ向かい一礼。「わが君。日も東天に出御ましまさば、うがい手水に身を清め、神前仏前へ燈灯を備え、御飯も候えば、早く召し上がって然るべく存じ奉る。恐惶謹言」。これを聞いた八五郎、「飯を食うのが“恐惶謹言”なら、酒を飲んだら“依って(酔って)件の如し”だな」と、洒落で締める。
言葉=身分/躾の象徴:
雅語・漢語は教養と家柄を示す一方で、生活実務には不便。言葉の“位階”が笑いに転化する。
翻訳不能コメディ:同じ日本語でも通じない“ズレ”の連鎖。意味の齟齬が、可笑しさだけを増幅する構造。
江戸的折衷:教養(格式)と実用(暮らし)の折合いを、八五郎の一言で軽やかに和解させる。共同体が異質さを受け入れる優しい落語。