記録はあるが、記憶はない

前座時代は、本当に忙しかった。月に40本の脇の仕事をこなし、とにかく頼まれた仕事は何でも引き受けていた。ギャラが安くても、決して手を抜かず、全力で働く。高座、太鼓、着物畳み、お茶出しと、何でもやった。脇の仕事だけして寄席を休むことは許されない。寄席は「6勝」といって、10日間のうち6日は必ず寄席に出なければならない。旅などで寄席を休む場合は、3日間昼夜で6回出勤したこともある。

新宿三丁目の道楽亭では新作落語の勉強会を開き、毎月3本の新作を作って高座にかけていた。前座がおおっぴらに勉強会を開くのは、タブーに近いことだったが、師匠の許しを得て続けていた。それに加え、馬桜師匠からは古典落語を月に一本習い、喜多八師匠の強制稽古も年に何度か受けた。さらに昇太師匠にすすめられて、気象予報士の試験勉強もしていた。移動中や徹夜で勉強した。この頃のことは、予定帳に記録は残っているが、忙しすぎて、正直ほとんど何も覚えていない。

二つ目時代もやはり忙しかった。NHK「サキドリ」やフジ「アゲるテレビ」、テレ東「なないろ日和」など、さまざまなレポーターの仕事を経験した。いろんな場所に行き、いろんな人に出会えて、楽しかった。「タイムショック」「Qさま」「ソモサン・セッパ」など、クイズ番組にもたくさん出演。クイズの仕事が入ると、しっかりクイズの勉強をして臨んだ。2013年にはテレビ出演時間ランキングで、鶴瓶師匠らを抜いて落語家部門でぶっちぎりの一位になった。落語の稽古もたくさんして、前座噺以外の、トリネタもどんどん覚えた。二つ目の10年間、毎年国立演芸場で独演会を開き、毎回満員御礼。地方営業も数多く、各地でたくさんの思い出ができた。

そして真打になった今も、年200本ペースで落語をやっている。「落語の考証」「健康」「ビジネス」「環境・防災」「進路選択」「ユニバーサルデザイン」など、さまざまなテーマの講演会も多い。趣味の俳句にも、句会に所属して、真剣に取り組んでいる。テレビせとうちの経済番組「プライド」や、MBS「プレバト」の俳句コーナー、ラジオはレディオモモの「岡山かわらばん」など、メディアの仕事も充実。ユニバーサルデザインや太陽光ランプなどのチャリティ活動もいきがいになっている。放送大学や岡山理科大学で講師を務める仕事でも、みなさんのおかげで、毎回新しい発見があり、成長させてもらっている。

予定帳はいつもぎっしり埋まっているけれど、肝心の“記憶”のページは、ほとんど白紙。ただ、振り返れば、どの瞬間も誰かに助けてもらいながら歩いてきた。
忙しいことが、実はとてもありがたいことだったのかもしれない。