前座の太鼓

落語家の仕事は大きく分けて「寄席の仕事」と「脇の仕事」があります。
「寄席の仕事」とは、浅草演芸ホールや新宿末廣亭、池袋演芸場といった常設の寄席での出演のこと。ここでは一日中、落語だけでなくコントやマジック、曲芸など様々な演芸が行われています。
一方、公民館やホテルなどでのホール公演など、寄席以外で行われる仕事を「脇の仕事」と呼びます。
前座になって一年も経つと、寄席の楽屋仕事にも慣れてきて、少し余裕が生まれます。しかし、ただ慣れて毎日をこなしているだけでは、芸は伸び悩む。もっと高座に上がり、自分の芸を磨きたい――そう強く思うようになりました。
この「もっと場数を踏みたい」という欲求は、誰かに言われて芽生えたものではなく、自分の内側から自然に湧き上がってきたものです。落語は実際にお客様の前で演じてこそ成り立つ芸能であり、ひとりで稽古しているだけでは絶対に身につかない本番の感覚があります。
どうすれば、より多く高座に上がるチャンスをつかめるのか――考え続けた結果、「脇の仕事」の出番を増やすことに目をつけたのです。「他の師匠からも声をかけてもらえる前座」になる方法はないか、分析しました。
ここで行き着いたのが「太鼓を叩ける前座は貴重である」という事実です。落語会では一番太鼓、二番太鼓、出囃子、追い出し――と場面ごとに太鼓を打つ必要があり、それをきちんとこなせる前座は重宝されます。「太鼓ができる」という一芸を身につければ、自然と出番が増える。
とはいえ、私はリズム感にまったく自信がありませんでした。周囲の兄さんたちは、見本を一度聞いただけで叩ける人も多い中、私はどうしても覚えられない。「自分には才能がない」と諦めることもできたでしょう。でも、ここでまた私は、「どうすれば自分にもできるようになるか」を考えました。
先輩に頼み込んで太鼓のリズムをテープに録音させてもらい、自宅では座布団を太鼓に見立て、新聞紙をバチ代わりにして、何度も何度も繰り返し稽古をしました。
その結果、やがて昇太師匠以外の師匠方からも脇の仕事に呼ばれるようになりました。
この積み重ねによって、私は平均の前座の何倍もの脇の仕事を任されるようになりました。普通の前座は月に12本、多い人でも25本ほどですが、私は月に40本もの脇の仕事を掛け持ちすることができたのです。私は、すべての仕事を昇太師匠にメールで月に3回報告していました。
興行会社の方から「前座の楽屋での緊張感や雰囲気は、そのまま客席にも伝わる」と教わりましたが、私は自分なりに、常に先輩たちの高座を袖で見守り、その芸から学び取るよう努めていました。
「誰も見ていないから手を抜く」ことは簡単ですが、「誰も見ていなくても、自分のために手を抜かない」――その姿勢が、本当のプロ意識なのだと今は思います。
私の師匠である春風亭昇太は、いわゆる「ほったらかし」主義で、弟子を手取り足取り指導することはありません。昇太師匠は「人に可愛がられるようになりなさい」と助言をくれましたが、その具体的な方法は教えてくれない。「そこから先は自分で考えなさい」という方針です。
この放任主義は、一見すると「不親切」にも思えるかもしれません。しかし、裏を返せば、「自分の頭で考え、自分で判断して行動できる人間になれ」という深い愛情の表れです。
私はゴマすりやヨイショが苦手なので、師匠方に気に入られようと無理なキャラクターを演じることはできません。だからこそ、自分にできることは「誠実に目の前の仕事をこなして、お客様のために精いっぱい落語をする」ことだけだと腹をくくりました。
結局、どんな世界でも「調子がよくても、裏では手を抜いている」ような人は、長い目で見れば必ず見抜かれてしまうものです。
誰かに言われてやるのではなく、「自分の成長のため」「自分の信じる道のため」に、一つ一つの行動に工夫と誠意を込める――これこそが、成長を加速させる一番の方法なのだと思います。