ほったらかしの背中
「落語は、師匠から手取り足取り教わるものだ」――多くの人は、そんなイメージを持っています。ドラマやマンガの中では、厳格な師匠が弟子を前に正座させ、事細かに所作や間の取り方を教える場面がよく登場します。しかし、現実の落語修業は、そうしたイメージとはまるで違っていました。
かつては「三遍稽古」と呼ばれるやり方が主流で、師匠が同じ噺を二、三日おきに三度演じ、それを弟子がひたすら覚える。四回目には弟子が「見て聴いて盗んだもの」をそのまま演じてみせる。落語には台本がなく、録音機器もなかった時代には、師匠の語りに全神経を集中させ、その場でノートを取ることすら許されなかった。
僕は稽古というものを、もっと師匠が寄り添ってくれるものだと想像していました。しかし、実際は違いました。入門して最初に与えられたのは、師匠が吹き込んだ「子ほめ」のテープと「これ、稽古しておいて」という一言だけ。超多忙な師匠には、ゆっくり教えている時間などありません。
思えば、師匠がほったらかしなのは、単なる多忙のせいだけではない気もします。自分で考え、工夫し、もがきながら身につける――そうでなければ、本当の芸にはならない、という信念が根底にあるのでしょう。
僕の場合、学生時代に落研で「子ほめ」をやった経験があったので、ゼロから覚える苦労はありませんでした。しかし、ここからが大事な分かれ道です。師匠のテープを何度も聴きながら、「自分はどういう『子ほめ』をやりたいのか」と自問しました。
古典落語らしくカチッと演じるのか、それとも現代的なくだけた口調、「ふにゃふにゃ」とした語りで挑むのか。僕は後者に惹かれていましたが、もしも最初から師匠の前で「ふにゃふにゃ」バージョンを見せたら、「もうちょっとカチッとしたほうがいい」と注意されてしまう気がしていました。逆を言うだろうと。そこで、あえて「カチカチ」の正統派で稽古に臨むことにしました。
師匠の仕事部屋は下北沢にあり、昭和のレトロな家具や雑貨、ブラウン管テレビやちゃぶ台が並ぶ空間です。その六畳間で、至近距離で師匠に聴いてもらう初めての稽古。普段はにこやかな師匠も、このときばかりは真剣そのもの。緊張しながら全力で演じました。
師匠は、稽古のあと、少し困ったような顔をして「お前さあ、談志師匠じゃないんだから、そんなふうにやらなくてもいいんだよ」と言いました。つまり、「そんなにカチカチにならなくていい、自分の感覚でくだけてやっていいんだよ」とゴーサインをもらえたのです。しかし、そこから先は細かいアドバイスは一切ありません。「あとは自分で考えて芸を磨きなさい」というスタンス――それが、僕が受け取ったメッセージでした。
この「ほったらかし」の教え方は、一見優しく見えて、実は極めて厳しい。芸は「盗むもの」。人から「こうしろ」と指示されてやるものは本物にならない。自分で見つけ、自分で工夫したものこそが、血となり肉となる。師匠は弟子の自立心を試しているのかもしれません。
この「自立を促す」姿勢は、日々の稽古だけにとどまりません。昇太師匠は、高座では自分を「ちゃらちゃらしてる」と茶化していますが、素顔は極めて真面目で男気があり、芸や礼儀、序列にも厳しい人物です。僕が入門した直後、師匠からこう言われました――
「高座に上がるとき、『勉強させていただきます』と言っちゃいけないよ」と。
普通、楽屋で「お先に勉強させていただきます」と挨拶するのがしきたりですが、昇太師匠は違います。「高座はお客様に芸を見せる場だ。勉強は家でするべきだ。前座であろうとプロである以上、高座は勝負の場であり、稽古の場ではない」という考え方。
この一言にも、「プロとしての自立した覚悟を持て」というメッセージが込められていました。以来、僕も「お先でございます」とだけ挨拶しています。
昇太一門には現在六人の弟子がいます。僕は三番弟子ですが、かつてもう一人弟子がいました。その弟子は、師匠から教わった「袖畳み」(立ったまま着物を畳む方法)を家で復習せず、いざというとき畳めなかった。努力を怠る姿勢を見抜かれ、破門となったそうです。
ビジネスマンと違い、落語家は破門されればその瞬間から即失業。給与も失業手当もなく、前座の給金は日給千円。交通費も自腹。好きだからといって続けられる甘い世界ではありません。
入門時、師匠から伝えられた「破門三カ条」は次の三つです。
罪を犯したとき
努力していないとき
師匠を尊敬していないとき
最初の二つは分かりやすいですが、三つ目の「師匠を尊敬していないとき」は、何をもって判断するのか、弟子同士で話し合い、当時師匠は独身だったので「師匠より先に結婚したら失礼だから破門なんじゃないか」と冗談も出ました。
けれど本当は、落語そのものを尊敬しなくなったとき、だと僕は思っています。
落語や師匠を尊敬していれば、誰が見ていなくても手を抜かず、稽古を重ねて芸を磨き続ける。それを怠ったとき、自分は落語家として終わりなのだと、肝に銘じています。
落語修業の世界では、誰もが「自分で考え、自分で動き、自分の責任で生きていく」ことを求められます。
師匠の「ほったらかし」は、無関心ではなく、「自分で立ち上がる力を身につけてほしい」という深い信念に基づくものです。
その自立の精神こそが、落語家として生き抜くために最も大切なことなのだと、今、僕は思うのです。