岐阜で騙される
学生時代、僕はボランティアで高齢者施設を回って、落語を披露していました。
ある日、岐阜の施設での落語会に呼んでもらえることに。会場に着いてみると、他の出演者はなんと全員が本物のプロ落語家とお囃子さん。僕だけが学生という、いま思えばかなり無謀な状況です。
そんななかで出会ったのが、古今亭志ん八兄さん。見た目はドリカムの中村正人さん似で、親しみやすい雰囲気。でも高座に上がると一変、枕で巧みにお客さんの心をつかみ、噺に入れば会場はドカンドカン。ああ、やっぱりプロはすごい、と心の底から感動していました。
終演後、志ん八兄さんがふらりと近づいてきて、「卒業したらどうすんの?」と声をかけてくれました。「いや、まだ何も決まってなくて…」と答えると、兄さんはニヤリと笑って、「落語家になっちゃえばいいじゃん」とひとこと。
「いやいや、そんな簡単なもんじゃ…落語家って生活大変だって聞いてますし」と返すと、「大丈夫だよ!前座でも月に何十万も稼げるんだから!」と、悪魔のささやき(?)。
「えっ、そんなに!?」
…その言葉にすっかり夢を見てしまった僕は、気がつけば昇太師匠の門を叩き、貯金もせずに弟子入りを決めてしまいました。
ところが現実は――
「何十万」どころか、財布に何十円しか入っていない毎日がスタート(笑)。
先輩方に怒られ、仕事も右も左もわからず、ただがむしゃらに過ごす日々。それでも、三カ月目にして、人生で初めての「ワリ」(前座の給料)をもらう瞬間がやってきました。
それは、10センチぐらいの正方形の茶封筒は本当にピカピカで、見ているだけで嬉しくなるものでした。けれども、どうしたらいいのかわからず、迷った末に岡山の実家の両親に送りました。「これは綺麗なお金ですから、ぜひ使ってください」と手紙を添えて。
一週間後、ワリ袋が手紙ごと、そっくりそのまま戻ってきました。
両親からの手紙には、こう書かれていました。
「その気持ちを、もし自分に子どもができたら、その子にあげてください。今は、健康で元気でいてくれたら、それだけでいいです」
涙が止まりませんでした。
志ん八兄さんの「夢を見せてくれるひと言」も、両親の「ただ元気でいてくれれば」という愛情も、どちらも僕の背中をそっと押してくれるものでした。
落語家の夢は、実際にはなかなか“稼げる仕事”ではないけれど――
あの時もらった最初のワリと、家族の言葉は、僕の宝物です。