「もう少しで笑いそうになりました」

春のやわらかな日差しが車窓を照らしていた。私はスーツケースを膝に抱え、駅からタクシーに揺られている。今日訪ねるのは、私が落語家を志すきっかけになった盲学校だ。大学時代、盲学校でボランティアをしたことが、人生の方向を大きく変えた。

 思い返せば、あの時の子どもたちの笑い声が、私の中に深く刻まれている。真打になり、落語のユニバーサル絵本を作り、全国の盲学校や点字図書館に届けることができたのも、あの原点があったからだ。けれども、本当に伝えたいのはやはり「生」の落語だ。空気の振動を伝えたい。だから今日も、高座一つ、声ひとつで、子どもたちに会いに行く。

 校門の前に着くと、すでに数人の子どもが待っていた。「昇吉さん、どうぞ!」と、がらがらと門を開けてくれる。玄関でも、控室の前でも、誰かがドアを引いて開けてくれる。自分で扉をあけなくてもいい。「まるで自動ドア(児童ドア)だな」と心の中でつぶやく。ドアを引いて開けてくれるので、理由を聞いてみたくなった。「どうして押さずに引いてくれるの?」と尋ねると、男の子が照れくさそうに言った。「だって僕たち幼い(押さない)んだもん」。とっさの返しに、思わず笑ってしまう。

 校舎に足を踏み入れると、廊下の壁に並ぶ作品や点字の掲示が目に入る。控室に案内される途中も、子どもたちが「こんにちは!」と何度も声をかけてくれる。舞台袖でスタンバイしていると、先生がそっと「みんな、今日の日をずっと楽しみにしていたんですよ」と耳打ちしてくれた。私は、持参した手ぬぐいで軽く汗をぬぐい、深呼吸をひとつ。やがて教室いっぱいに子どもたちの声が広がる。先生の合図で、私はゆっくりと高座へ向かう。

 教室には素朴な拍手が響く。今日は古典落語「饅頭怖い」を披露した。声の調子や間合いひとつに、子どもたちは敏感に反応する。噺家冥利につきる時間だ。

 終演後、恒例の質問タイム。若い女性の担任の先生が「質問がある人?」と促す。一人の男の子が、真剣な顔で手を挙げる。「昇吉さん、そんなことやってて恥ずかしくないんですか?」一瞬、教室が静まり返った。先生があわてて「はい、次の質問!」とフォローする。続いて別の子が、「昇吉さん、そんなことやってて生活できるんですか?」。私は思わず苦笑いしてしまう。「うーん、まあ何とか生きてます」と答えると、場の空気がふっと和んだ。

 公演の終わり、生徒代表の女の子が花束を差し出してくれる。「今日は、お話をしてくださりありがとうございます。もう少しで笑いそうになりました。昇吉さんの古典落語、かなり筋がいいなと思いました」。“もう少しで”という言葉に、私は心の中で小さなガッツポーズをした。届いている。ちゃんと、言葉が、笑いが、子どもたちに。

 帰り道、教頭先生と担任の先生が並んで見送ってくださる。「昇吉さん、ありがとうございました。子どもたち、本当に喜んでいました」「いえいえ、恐縮です」そのとき、教頭先生がにこやかに声をかける。「昇吉さん、私からも質問があるんですが……普段はなにをされてるんですか?」私は思わず大きな声で笑ってしまった。

私は、こうして恩返しと、新たな出会いの種まきをしている。
青空の下、子どもたちの笑い声が、いつまでも耳に残っていた。