「将来どうするの?」って、こっちが聞きたいよ。

「どうして東大を出て、落語家になったんですか?」
二ツ目になってからというもの、取材を受けるたびに必ず聞かれるこの質問。
丁寧に聞かれる分だけ、ちょっとだけ胸に刺さるんです。
僕の答えは、いつもシンプルです。
「落語が好きだから」

以前、ある雑誌の編集者の方が、取材の依頼メールにこう書いてきました。
「東大卒という、就職が楽になる学歴を持ちながら、雑巾がけから始まる世界に飛び込まれた理由をお聞きしたい」。
なんだかツッコミどころがいっぱいです。
まず「就職が楽」って、どこの情報でしょう? 東大を出たら簡単に内定が降ってくる、そんな話は聞いたことがありません。実際には、外資、コンサル、法曹界——どこも超・狭き門。
大学の門より、その先の就活の扉の方がずっと狭い。
それから「雑巾がけ」。確かに落語の修業では掃除も大事な仕事です。

でもこれは単なる苦行ではなく、芸の一部なんです。墓掃除が清掃作業ではなく、宗教行為であることと同じです。あと私は、4年間の前座修業で、床などを雑巾で拭く行為をしたことはほとんどありません。地方の学校公演で、舞台上が汚れていて雑巾を貸してもらって拭いたことは、2回ほどある気がします。「雑巾がけ」というのは、比喩なんでしょうか?それとも前座修業のなかに「雑巾がけ」の作業があると思っていらっしゃるのでしょうか?職業行為を下に見ているとしても、わざと誤解を招く比喩を使っているとしても、誤解をそのまま文章にしているとしても、品がないというか、この世界(自分の生)に対する敬意が薄く、雑な仕事をなさっているように思います。

その編集者さんはさらに、「これまでのキャリアを“捨てる”覚悟が必要だったのでは」とも書いていました。雑な言葉使いをする人柄なのか、世界認識が平板なのか、職業柄わざとわざとそういう切り口で事象を料理、味付けして提示しているのか、わかりません。これまでに培った知識や経験も、人との出会いも、自分という人間の一部として、ちゃんと落語に影響を与えています。
僕の友人には、メガバンクに勤めている人、弁護士、官僚になった人もいます。でもたまに会うと、こう言うひともいます。「もう辞めたい」って。理由は、過労とか、理不尽とか、好きではないとか、いろいろです。

こっちはこっちで、一日数千円の仕事に四苦八苦してますが、あちらはあちらで数億円を動かす責任が重たいようです。

正直な話、僕は庄司薫や大江健三郎のような人生に、憧れていました。本を読み、書くだけで生きている。

現実は、空気を「読み」、汗を「かいて」生きている。

それでも、一日中、好きな本を読んで、好きな噺をして、たまにはお客様から「今日よかったよ」と声をかけていただける。そんな小さなしあわせの積み重ねです。