「防弾ガラスになるまで」

落語家になる――そう決めたとき、私はもう、羽織袴で高座に立ち、喝采を浴びる自分の姿を思い描いておりました。ところが、現実に足を踏み入れたのは、寄席の“楽屋”という名の異世界。そこは、笑いの宇宙の裏側であり、修業という名の重力がずっしりとかかる重力圏でもありました。

まず僕を待ち受けていたのは、「お茶くみ」という壮大な試練。そう、噺家への第一歩とは、湯呑み一つにすべてを賭けることだったのです。

前座の務めは、しばしば「師匠のお世話」と言われますが、それは決して“自分の”師匠に限った話ではありません。寄席の楽屋にお集まりの、すべての師匠方。いわば「全方位土下座システム」の中で生きる日々。ひとたび末廣亭の楽屋に入れば、そこは十畳ほどの小部屋に、芸歴も性格も天気のように移ろう師匠方がずらりと並ぶ、いわば“文化系サファリパーク”です。

その隅の板の間。冷たい床に正座し、前座はじっと佇む。目立ってもいけない、消えてもいけない。まるで茶室の床の間に飾られた一輪の野の花――いや、むしろ「野に咲くエアコンのリモコン」、気づかれないけど無いと困る存在。とにかく、息をひそめて、背すじをぴんと伸ばして、出番を待ちます。

前座の仕事は多岐にわたります。高座返し、着物の畳み、ネタ帳をつける、太鼓打ち。中でも最も高度で、失敗の許されないタスクが「お茶くみ」。この任務、じつは寄席版の“爆弾処理”です。

お茶と言っても、その種類は千差万別。熱いのを好む師匠、ぬるめを喜ぶ師匠、白湯派に麦茶派、最近ではノンカフェインのハーブティーを持参される師匠も登場(誰とは言いませんが)。しかも「お茶」と言われた時点で、それはすでに遅刻。師匠方が「欲しい」と思われた瞬間には、差し出していなければならない。まさに“察し”の世界。もはや、茶道ではなく「察道(さつどう)」。

さらに、落語界には似た名前がやたら多い。「遊」がつく師匠だけでも、小遊三、左遊、遊吉、圓遊、笑遊……この字面だけで百人一首が作れそうです。顔と名前を一致させ、かつその方のお茶の好みまで覚える。これはもう「楽屋内限定記憶選手権」の様相です。

お茶を間違えたからといって、怒鳴られることは滅多にありません。けれど、その目尻がすっと上がる。あるいは、こめかみが微かに動く。それだけで、心がキューッと締めつけられる。目に見えない“無言の雷”が、確実に胸を打つのです。

そんなとき、ふと頭をよぎります。大学時代の友人たちは、いまごろドバイの高層ホテルでカクテルでも飲んでるのではなかろうかと。

しかし——不思議なもので、そんな日々こそ、今では宝です。

怒鳴られないからこそ、静かに、でも鋭く、空気を読む目が育つ。あの毎日は、笑いの技術ではなく、人の機微を知るための、静かで尊い稽古でした。

かつて「ガラスのハート」と呼ばれていた私も、気づけば“防弾ガラス”のような心を手に入れ、今日も寄席に立っております。

でも、心のどこかに、お茶を作っていたころの、前座時代のドキドキは、今も静かに残っているのです。たぶん、あの給湯室の茶碗の底のあたりに。