「師匠の背中」
落語の世界に入って、まず驚いたことがありました。
師匠が一から十まで丁寧に教えてくれる――そんな甘い世界ではなかったのです。「ここで笑いを取るんだよ」「こう間を取りなさい」などという指導は、ほとんどありません。師匠は多くを語らず、私たち弟子はその背中を見つめながら、自分で考え、気づき、学び取るしかない。これはある意味、たいへん厳しい教え方です。
けれど、いま思えば、それが何よりの学びだったと思うのです。芸というものは、人に与えられて身につくものではありません。自分の手でつかみ取ったものこそが、本物になる。そうして得た気づきは、決して忘れないのです。
私の師匠、春風亭昇太は、高座ではひょうきんな話しぶりで客席を沸かせる、明るい芸風の持ち主です。ご自身でも「僕なんか、ちゃらちゃらしてるように見えますけど」と冗談まじりにおっしゃることもあります。
ですが、普段の師匠はまったく“ちゃらちゃら”などしていません。むしろ真っすぐで、礼儀やけじめにはとても厳しい方。芸に対する姿勢は真剣そのもので、舞台で見せる軽妙さも、すべて計算されたものなのです。
入門して間もなく、私はひとつ大切なことを教わりました。
「高座に上がるとき、“勉強させていただきます”って言っちゃいけないよ」
普通は、楽屋で先輩方に「お先に勉強させていただきます」とご挨拶してから高座に向かいます。そして終えたら「勉強させていただきました」と頭を下げる。それが一般的な作法です。
けれど昇太師匠は、それをよしとしません。高座は、お金を払ってくださったお客様の前で、今の自分のすべてを尽くす場であって、勉強をする場所ではない。勉強は家でしなさい。そんな覚悟を、若い私に静かに伝えてくださいました。
たとえ前座でも、舞台に立った瞬間から「プロ」なのです。
師匠の一門には、私を含め10人の弟子がいます。私の入門前にはもう一人、弟子入りされた方がいらっしゃったそうですが、その方はある日「袖畳み」を復習していなかったことを理由に、破門になったと聞きました。袖畳みとは、着物を立ったまま畳む、前座にとっては基本の所作。それを身につけていなかったことを、師匠はすぐに見抜かれたのです。
「芸の世界に、怠け心は通用しない」
その話を聞いてからというもの、私は毎日、背筋を伸ばして過ごすようになりました。破門になったら、明日から仕事がゼロになる。それがこの世界の厳しさなのです。
師匠は、入門時にこうおっしゃいました。
「うちの一門には、破門三カ条があるからね」
一、罪を犯したとき
一、努力を怠ったとき
一、師匠を尊敬していないとき
三つ目の「師匠を尊敬していないとき」とは、一見、曖昧なようでいて、じつはとても深い意味があります。
私はこう思っています。それはつまり、「落語そのものを、尊敬していないとき」ということなのだと。
落語を心から大切に思っていれば、誰にも見られていなくても手を抜かない。舞台の外でも、自分を磨き続ける。その姿勢を忘れたときこそが、本当の“破門”なのだと。
あれこれ口に出しては教えてくれないけれど、日常のふとした瞬間や、舞台のひとコマに、すべてを込めて見せてくださる――そんな師匠の背中は、今も私にとって、いちばんの教科書です。