『せかいのおきく』
『せかいのおきく』
「循環」と「再生」
Ⅰ.物質の循環
A. 江戸社会に存在した循環システム
下肥(糞尿)の循環
糞尿 → 肥料 → 野菜 → 人間 → 再び糞尿
→ 汚物が食卓と命の源へ戻る循環
紙屑拾いと再生紙の循環
紙屑(ゴミ) → 再生紙 → 読み書きを支える媒体
→ 学びを育てる基盤に変換される
衣服の循環(襤褸=ぼろ)
破れた布 → 繕われる → また役に立つ
死体の循環(棺桶職人孫七の思想)
人は死んだら土に還り → 肥やしとなり → 自然を育てる
→ 人間も自然サイクルの一部に位置づけられる
汚い/不要とされたものが、実は社会と命を支える資源になる
Ⅱ.役割と人生経験の循環(人間の再生)
A. おきくの人生の変化=循環・再生モデル
出発点:武家の娘
身分が高い=中心に近い存在
転落:貧乏長屋へ
社会の周縁へ移動
破壊:父の死と喉の負傷
声を奪われ、存在価値そのものが揺らぐ
再生:寺子屋の師匠へ
声は戻らないが、文字と身体で子どもたちの学びを支える役割を獲得
構造:糞尿や紙屑と同じく
一度「価値を喪失」→形を変えて「社会の栄養源」になる
Ⅲ.「声を失う」ことのメタファー
1. 沈黙させられた人びとの象徴
女性であるがゆえの不自由
庶民・労働者・被害者が歴史に名前を残さない現実
2. 言葉以前のコミュニケーション
声を使えなくなったおきくは
身振り手振り
表情
書くこと
で想いを伝える。
コミュニケーションは情報ではなく関係の行為である。
「つながりたい」という意志こそ本質。
3. 声=排泄というメタファー
声(感情・思想)は
→ 内側のものを外に出す「排出」
→ つまり、精神の排泄物とも言える
声を塞がれたおきくは
直接排出できない代わりに
「教育・他者の学び」という形で表に出す
==これが循環である==出口を失ったものが別の流れに乗り、他者の糧となる
4. 聞き取る存在への転位
声を失うことにより、
話す人 → 聞く人/受け取る人へと変化
子どもや中次の想いを受け止める器になる
ここでおきくは「言葉の下肥買い」として機能する
糞尿を集めて土に返す矢亮と同じように
おきくは人の感情・言葉を受け取り、学びへ、未来へ循環させる。
捨てられたもの、奪われたもの、声を失った人間、
そうした“周縁”の存在こそが、
実は次の世代を育て、社会を動かす中心に回る。
すべてが「肥料」となり、世界を育てる。
人間もまた肥やしである
生きている間の喜びや失敗
傷つけられた身体と感情
奪われた声
終わった役割
それらは無駄にならず
必ず誰かに受け継がれ
肥やしとなり、次の命を支える。
声なき者・汚れたもの・捨てられたものの側から描く「世界の中心」
