49.宿屋の富

寂れた宿屋に、一人の旅人が投宿する。みすぼらしい身なりから、宿屋の主人は「宿代が払えるのか」と心配になるが、男は妙に調子がよい。

「おれは田舎じゃ大層な豪家でしてな。奉公人が三百人、長屋門から離れ屋敷まで七日かかる。蔵が大きすぎて、泥棒に千両箱を好きなだけ持っていけと言って寝たくらいで」

主人は半信半疑ながらも、妙な迫力に押されて「この人は本当に金持ちなのか」と信じ始める。主人は内職で売れ残っていた“富くじ”を思い出し、旅人に買ってもらおうとする。

「旦那、これを一枚。もし当たりましたら…半分だけ、いただけませんかね」

自分を金持ちと吹聴している手前、旅人は断れない。「当たると金が増えて困るがね」と余裕を見せたが、実際はなけなしの一分をはたいて買った貧乏人。その夜、彼は富くじの抽選が行われる椙森神社へ向かう。

抽選はすでに終わっていた。貼り出された札を読むと、一等千両の当たり番号は──「鶴の千五百番」

それは、まぎれもなく自分の手元の富くじだった。

旅人は震え上がる。「千両…五百両…生まれて初めて見る大金だ…!」。あまりの衝撃にその場で動けなくなり、宿に戻ると布団をかぶってガタガタ震え続ける。金持ちを装っていた余裕など吹き飛び、興奮と恐怖で足がすくんだのだ。やがて、当選を聞いた宿の主人が駆け込んでくる。

「旦那!富が当たりましたよ!半分いただけるお約束、忘れちゃいませんよね!」

興奮のあまり、主人は下駄を履いたまま部屋に上がり込む。旅人は布団の中で震えながらも、金持ちの体裁を守る。

「お…おうよ。はした金だ。五百両ぐらい、持っていきなせぇ」

主人は旅人の“余裕のふるまい”に感心しながら、ふと足元を見る。

「旦那……あなたも下駄履いたまんまじゃありませんか!」

 

虚勢は、意外な“生活の細部”で崩れる。

旅人は“大金持ち”という虚像を必死に守り続けた。

しかし、最後にその嘘を暴いたのは、壮大な話でも、立派な理屈でもない。——ただの「下駄のまま上がった」という生活のリアリティ。

落語は、“人間の見栄”と“人間のにじみ出る本性”の落差を笑いにする。虚栄心がいかに脆く、滑稽で、愛すべきものであるかを描いている。