家見舞

兄貴分が新しい家を建てた。そこで義理堅い二人組が「祝いの品を贈ろう」と相談するが、金はほとんど無い。必要なものを直接聞きに行くと、水瓶(みずがめ)が無いのに気づき、これに決めた。

備前焼の立派な水瓶は18円、安物でも4円50銭。二人の持ち金は10銭程度しかなく、とても買えるものではない。それでも「十銭で売ってくれ」と無茶を言い、道具屋にあきれられて追い出される。

仕方なく古道具屋を回ると、軒下に安い瓶が転がっている。恐る恐る「十銭で売ってくれるか」と聞くと、あっさり承諾された。だが実はそれは肥瓶(こいがめ)だった。二人は「見ぬもの清し」と自分に言い聞かせ、必死に洗って竹さんに贈る。

竹さんは大喜び。「酒でも飲んでいけ」と二人を招き入れる。だが出された豆腐や漬物、ご飯はすべてその肥瓶の水で冷やしたり炊いたりしたもの。二人は気づいて青ざめ、「豆腐は断っています」「漬物は断っています」「飯も断ってます」と必死に避ける。

竹さんが「変なやつらだな」と首をひねる中、瓶の中を覗くと澱がいっぱい。「次は鮒を入れて澱を食わせよう」と言う竹さんに、二人は「いや、すでに肥(鯉)が入ってました」。

 

 

「貧乏人の見栄と義理」「無知が招く喜劇」「汚いものを清らかに錯覚する人間の心理」

江戸っ子の義理人情
 金はなくても、兄貴の新築祝いには何か贈りたい。そこに江戸っ子らしい「筋を通す気風」。

貧乏の滑稽さ
 高価な水瓶は買えず、安物で済ませようとした結果、最悪の肥瓶に行きつく。

「見ぬもの清し」の皮肉
 真実を知らなければ喜べるが、知ってしまえば吐き気を催す。日常生活に潜む「知らぬが仏」の構造。