落語漬けの四年間
落語の世界にも、学生が全国から集まり腕を競う“甲子園”のような大会がある。
その名も「全日本学生落語選手権・策伝大賞」。これは「落語の祖」と呼ばれる安楽庵策伝を記念し、2004年から岐阜市で始まった大会だ。北は北海道、南は沖縄まで、たくさんの大学から数百名の学生が参加し、毎年熱い戦いが繰り広げられる。
第1回(平成16年2月22日)――初挑戦、予選敗退
僕が初めて出場したのは大学1年生。演目は「出来心」。初めての参加で緊張し、しかも稽古不足だったこともあり、結果は予選敗退だった。ただ、この時、全国から集まった「うわっ、うまっ」と思わせる学生たちの存在に衝撃を受けた。
「どうすればそんなにうまくなれるんですか?」
大会で出会った神戸大学の「みなと家どぜう」さんに尋ねると、「毎日2時間、部員と1対1で徹底的に稽古している」と教わった。2時間であれだけ上達するなら、倍の4時間やればもっと上手くなるのでは――そんな単純な思いで、2年目に挑むことにした。
第2回(平成17年2月27日)――「子ほめ」で本選進出
2年目は、柳家喜多八師匠に習った「子ほめ」で出場。この年は一日4時間の稽古を積み、ついに本選進出を果たすことができた。
第3回(平成18年2月19日)――「道灌」「まんじゅう怖い」で頂点へ
3年目、稽古時間はさらに増え、一日16時間に。決勝は「まんじゅうこわい」を現代風に、予選は古典落語「道灌」をカチッと演じることにした。普通は逆だが、予選と決勝では聴衆や審査基準が違う、と過去の経験から学んでいた。予選は技術を重視する審査員向けに、名人のテープを徹底的にコピー。間の取り方から声のトーンまで、小三治師匠の「道灌」を徹底的にコピーした。三遊亭小圓朝師匠に稽古もつけていただいた。
そして決勝では、柳家喜多八師匠に習った観客の心をつかむ「まんじゅうこわい」で挑み、念願の優勝を手にした。
第4回(平成19年2月25日)――「片棒」で本選進出
4年目の演目は「片棒」。この年も無事本選出場を果たし、学生生活の集大成となった。
振り返れば、僕の学生時代はまさに落語漬けの日々だった。
朝から晩まで稽古し、週末も巣鴨の寮の和室で高座の練習。受験時代に培った「一日16時間勉強」のノウハウを、そのまま稽古に注ぎ込んだ。台本を書き起こし、百回読む。移動中も師匠の音源をずっとシャドウイング。自分の落語を録音して自己チェックし、登場人物ごとにキャラクターを作り込み、所作や目線まで細かく研究する。ラフな下絵に陰影を重ねるように、噺を徹底的に磨き上げていった。
一日16時間稽古し続けても飽きることはなかった。直すべき点が山ほど見つかり、それを乗り越える楽しさに夢中だった。やればやるほど自分の欠点や、わからないことが増えていく。まさにダニング・クルーガー効果だ。
そんな日々の集大成が、卒業式の日にサプライズとなった。
岡山から両親と祖母が上京し、安田講堂での卒業式。実は僕は、ここで日本人でただ一人「第一回東大総長大賞」に選ばれていた。策伝大賞での優勝や、盲学校・医療少年院でのボランティア活動など、「好きなこと」に打ち込んできた活動が評価されたのだ。
壇上で表彰状を受け取る僕の姿がスクリーンに映し出され、両親や祖母は「ビックリした!」と興奮気味に話してくれた。普段は親の言うことも聞かない僕の、ささやかな親孝行になった。
こうして、卒業式のサプライズは大成功――でも、その後すぐに落語家になり、また親不孝者に逆戻りするのでした。