未来予報士
師匠は「ほったらかし」だと言わ士ることが多いけれど、なんだかんだで弟子のことを気にかけてくれている。
ある日、突然「お前、天気に興味ないか?」と聞かれた。「天気ですか? とくに興味はないですけど」と答えると、師匠は「気象予報士の資格、取ってみたら?」と、さりげなく提案してくださった。
僕はこの師匠のひと言で、気象予報士の資格取得に挑戦することになった。合格率5%という狭き門。二年半ほどかかって、ようやく合格できた。その間にかかった本代やセミナー代は、すべて師匠が払ってくれた。本当にありがたかった。今思えば、この「何気ないひと言」が、やがて自分の人生に大きな実りをもたらす種だったのだ。
気象予報士の資格を手にして、「いつかお天気お兄さんとしてテレビで天気予報をやってみたい」とぼんやり考えていたら、本当にそのとおりになった。今年(2013年)の四月から、フジテレビの『アゲるテレビ』でレポーター兼天気予報のコーナーを担当することになったのだ。
また、『地球イチバン 世界で最も乾いた大地~チリ・アタカマ砂漠~』(NHK総合)では旅人として出演し、気象予報士の知識を活かして「なぜ乾燥するか」の解説もした。2020年には、TBSの「グッとラック!」という立川志らく師匠の番組で、少しの期間ではあるが気象コーナーを務めさせていただいた。
師匠の先見の明には驚かされる。「ほったらかし」と見せかけて、実は弟子のことをきちんと見ているのだ。本当は、師匠が僕に気象予報士を勧めたのは、僕が「稽古してほしい」とうるさかったからかもしれない。でも、勉強はまったく苦にならない僕にとって、このアドバイスは本当にありがたかった。
僕は東海大の落研に所属していた。その頃一緒に落語をやっていた仲間が新潟放送のアナウンサーになっていて、そのご縁で師匠の落語会を開くことになった。さらに、僕と同じ岡山出身のぴろき先生も出演することになった。落語家は「師匠」と呼ぶが、その他の芸人さんは「先生」だ。ぴろき先生はウクレレサイズのギターを弾きながら漫談をする。ちょんまげ風の髪型、丸メガネ、チェックの蝶ネクタイとズボン——どこか哀愁を漂わせる、独特な存在感だ。
打ち上げの席で、ぴろき先生は「この世界で食っていくのは、本当に大変」と本音をもらしていた。そのとき、師匠が「綾小路きみまろさんは“中高年の悲哀”というテーマがある。ぴろきさんも自分を売り出しやすいようにパッケージ化したほうがいいよ」と、さらりとアドバイスを送る。僕にとっても「自分をどう売り出すか」は大きなテーマだったので、身を乗り出して聞いていた。ぴろき先生も「東大卒の落語家というフリがきたとき、どう答えればいいんですかねえ」と師匠に相談してくれる。
打ち上げの後半は僕の話題になり、師匠は「昇吉、お前、腹出てきたな。普通、前座は痩せるんだぞ」といじる。僕は「下流の生活でラーメンとか安いものばっかり食ってるんで」と答えたが、実際には前座には“出された食事はすべて食べる”という不文律がある。先輩と居酒屋に行けば、山のような料理が並び、それを前座が片付ける。途中でトイレに行って吐いてでも食べる。僕も、前座になったばかりの頃はひもじい思いをしたが、脇の仕事が増えると、みんなの残した弁当を一人で平らげて10キロくらい太ってしまった。
その日は夏で、僕は胸の開いたTシャツを着ていた。「なんでこんな胸の開いた服着てんだよ」と師匠はさらに突っ込む。「東大なんだから、七三分けにして黒縁メガネ、青白いガリ勉みたいな感じにしろ。なんでお前は黒いんだよ。健康的じゃねえか」僕は寄席に歩いて通っていたので日焼けしていただけだが、師匠は細かいところまで見ている。そして、突然こう言った。
「お前あてに、取材がいっぱい来てるんだよ。でも、それはオレが全部断わってる。まだ何も準備ができてないうちに顔だけ売れてテレビとか出ても、“こいつ面白くない”“使えねえな”と思われたら終わりだからさ」
それは初耳だった。師匠は僕が入門したばかりの頃、一時期「東大卒の弟子をとりました。自分の読めない漢字を読んでもらうためです」と高座で話していた。それを聞いたマスコミが「東大卒の落語家が誕生した」と騒ぎたてた。でも、師匠は表には出さず、陰で僕の将来を守ってくれていたのだ。
打ち上げがお開きになり、部屋に戻ってから、師匠とぴろき先生は二人で飲んでいたらしい。二時間ほどして、ぴろき先生から電話があった。「昇吉君、東大卒ネタのオチが見つかったよ!」とご機嫌な様子。しかし、それはたいしたオチではなかったので今では忘れてしまった。でも、ぴろき先生は「君の師匠はやっぱりただものじゃない」と、しきりに興奮していた。どうやらその夜、ぴろき先生にも師匠のプロデュース術が施されたらしい。ちなみに、ぴろき先生も翌日には師匠の金言を全く忘れてしまったそうだ。
師匠のまいた「未来の種」、そして「見えない配慮」——
すべてが、今の自分を形づくる土壌となっているのだと、改めて実感している。