地雷を踏んで試す
世の中に、楽な仕事などありません。どんな職業にも、その世界なりの苦労や難しさがあります。
落語の世界には“正解”を教えてくれる本などありません。師匠方も、いきなり叱るのが当たり前。何をどうすればいいのか、自分で考えて身につけるしかないのです。
たとえば、落語会の打ち上げ。
前座は自分の師匠だけでなく、その場にいる全員のお世話をします。誰かに教わるわけでもなく、細かい気配り――注文の取り方、飲めない人への配慮、料理の出し方――すべて自分なりに考えて実践していきます。
さらに、落語界には“こうしなければならない”という決まりやしきたりが多いようで、実は場面ごとに「どれが正解なのか」はっきりしないことも多い。
たとえば、ビールが運ばれてきたら普通は一番偉い人に先に渡すものですが、僕はあえて最後に出てきた、一番冷えたビールを師匠に渡していました。その方が美味しい状態で召し上がれるからです。でも、これは一般的なマナーからは外れているため、お客様に叱られることもありました。
また、師匠の焼酎の水割りも、「飲みきってから次を作ってほしい」という師匠の流儀がありますが、お客様にはその意図が伝わらず、口答えすると失礼になるので、僕はあえて自分が叱られる役を引き受けていました。つまり、誰も“正しい答え”を教えてくれない世界で、自分なりに考え、実践し、時には叱られることも受け入れてきたのです。
そんな日々の中で、僕はあえて“グレーゾーン”に踏み出してみることもありました。
たとえば、「りんご」という単語を知っている人があえて「樹になる、青森や長野でとれる赤い果実」と表現する。「みどり」を「黄色と青を混ぜた色」と言い換える。あたりまえ過ぎてつまらないので、あえて、危険を冒すのです。パラフレーズすることで、本質が見えることがある。私は、いままでこの習性で幾度となく誤解を受けてきました。
落語界では「後輩は一番安い料理を注文する」というしきたりがありますが、あえて高いものにも手を伸ばしてみる。そこで怒られたらやめればいいし、何も言われなければ「新しい判断基準」が生まれます。もしかしたら、そんなことを全く気にしない人かもしれない。だから、あえて危険をおかすのです。「昇吉は、後輩は一番安い料理を注文するというルールを知らない」と誤解されたとしても、まぁ、そんな人にはこちらも適度な距離を置くようにしています。
これは、車の運転に例えるなら、制限速度60kmの道で、いきなり100kmで走るのは論外。でも、62kmで走ってみて誰かに指摘されたら戻せばいい――そんな感覚です。実際の運転では法令違反は絶対にしませんが、「正解のわからない状況で、あえて試してみる」ということ。
西部邁が病床の友人に対して「死ぬのは大変なことじゃありませんよ」と言った。後で、そばに奥さんがいることに気づいて「悪いことを言ってしまった」と後悔した。
その話を聞いて談志師匠が「それはエチケットとしては、奥さんの前で夫の死を口にするのはよくないが、もののわかったかみさんなら、西部よく言ってくれた、というはずだ」とおっしゃった。
そういうことです。
常識やエチケットや慣習が分かっていないのではなく、あえて危険を冒して、実験しているのです。
しかし、一度だけ昇太師匠が私に「お前はオレを試してるのか?」と真顔になったことがありました。
さすがにその時は少しドキッとしました。その日以来、僕は“やりすぎない”程度に、グレーゾーンに踏み出しています。