「喫茶店30センチの奇跡」

三度目の挑戦となった策伝大賞。どうしても、今回は優勝したい――そんな強い気持ちを胸に抱いておりました。
二年目に「子ほめ」でファイナリストまで進んだ経験が、自分の中の火をさらに大きく燃やしていたのです。
ところが、なかなか演目が決まらず、迷っていた私に、「まんじゅうこわい」を勧めてくださったのが、山本進先生でした。
大会まで残された時間は、わずか二ヶ月。そこからの準備は、まさに時間との勝負でした。
山本先生は、東京大学落語研究会のご出身で、NHKにお勤めになった後は、6代目三遊亭圓生ほか名だたる師匠方の著作にも関わり、落語研究家としてもご活躍なさっている方です。
当時、東大の中で本気で落語に打ち込んでいたのは私一人でしたので、先生には本当によくしていただきました。おかげで、寄席にも頻繁に足を運ぶようになり、落語の奥深さを肌で学ぶことができました。
「まんじゅうこわい」は、落語をご覧になったことのない方でも一度は耳にされたことがある、親しみやすい演目です。
「怖いものは?」と聞かれた男が「まんじゅう」と答え、いたずら心で仲間がまんじゅうを買ってくると、怖い怖いと言いながら、実はとても嬉しそうに食べてしまう――そんな微笑ましい噺です。
稽古の時間も限られておりましたので、若さにまかせて不躾にも、柳家喜多八師匠にお願いし、お稽古をつけていただくことになりました。
学生の大会のために、プロの師匠が真剣に向き合ってくださる――それはなんとも贅沢で、ありがたいことです。今も、あの時のご恩は忘れません。
お会いしたのは、御徒町駅近くの、どこにでもあるチェーンの喫茶店でした。稽古は後日改めて、と思っていた私の目の前30センチの距離で、師匠はおもむろに語り出されたのです。まさかその場で、噺の“肝”を教えていただけるとは思ってもおらず、録音の準備もしておりませんでした。騒がしい店内、たばこの煙も漂う中で、私は一言も聞き逃すまいと、ただただ必死に耳を澄ませました。

「『若いもんが集まると、くだらねえ話で盛り上がるってのは、今も昔も変わらねえ』。そこにくすぐりを適当につけていきゃいいんだよ」

師匠が教えてくださったのは、噺の冒頭というより、“骨”そのもの。プロの落語家が何年もかけて磨く導入の技術を、惜しみなく伝えてくださったのです。
その“骨”に、現代風のギャグを差し込んでいくと、噺が生き生きとしはじめ、自分の落語が目に見えて変わっていくのを感じました。「これが落語の魅力か」と、胸が震えるような瞬間でした。
実は、前年の策伝大賞では、審査員の元バレーボール全日本代表選手で益子直美からは、「丁寧で、初心者でもすべてのことばの意味が分かった」と言われた一方で、立川志の輔師匠からは「消化済みの落語だね」と評されました。
その言葉の意味と、対策も、喜多八師匠に尋ねてみたのです。

「ちょっと“早間(はやま)”でやってみろ」

“早間”とは、じっくりを間を取って、光景や心情を描きながら進めるのではなく、軽さとテンポを重視して、すこし早口で話を進めることです。丁寧にきっちり演じるより、多少の粗さがあっても、勢いや明るさのある語り口のほうが、学生には似合う。そう、教えてくださいました。
プロが求めているのは、決して完璧な技術ではない。その人にしかできない、等身大の「学生らしい落語」。その言葉は、今でも私の表現の支えとなっています。
最終的に私は、予選では「道灌」、決勝では「まんじゅうこわい」という演目を選びました。「道灌」は古典的な口調で丁寧に、「まんじゅうこわい」は現代の語り口で柔らかく。あえて、対照的な演出に挑んだのです。
予選では、落語の基礎を重視する審査員が多く、きちんとした稽古の積み重ねが評価されます。一方、決勝には、地元のおじいちゃん、おばあちゃんも多くいらっしゃいます。だからこそ、お客様の笑顔を引き出すような「前ウケ(眼の前にいるお客さんが楽しいと思って声を出してもらう事)」も必要だと考えました。
本番の日。導入では、自分が暮らす学生寮の話をしながら、若者たちが鍋を囲んで笑い合う日常を描き、そこから自然に、古典の世界へとつなげていく。喜多八師匠から教わった“現代から昔へ”という構成は、お客様にもすんなりと受け入れていただけたように思います。
そして結果発表。司会は、NHKの廣田直敬アナウンサー。
「優勝は、井の線亭ビリ馬、『まんじゅうこわい』です。」
自分の名前が呼ばれた瞬間、胸にこみ上げてくるものがありました。思わず、目頭が熱くなってしまいました。努力は、きっと報われる。あの日、私はそのことを、心の底から実感しました。
翌年も決勝に進出することができましたが、惜しくも優勝は逃しました。
それでも、三年連続で決勝まで進んだことは、今も静かな誇りとして、自分の中に息づいています。