東大奇人群像③「タンクトップ毛虫男」
私は入学前、「東大生って、まじめで静かな人ばかりなんだろうな」と思っていた。
けれど、それはとんでもない誤解だった。むしろ「変な人たちの動物園」といった方が近い。しかも、みんなそれをまったく気にしていない。他人の目をなんとも思っていないのだ。
なかでも、ひときわ印象的だったのが「冬でもタンクトップ男」だ。
一年365日蛍光色のタンクトップ。
夏はもちろん、冬でも、雨でも、雪でも、タンクトップ。おまけに傘も差さない。雨の日など、びしょ濡れで登校してきた。
彼はいつも大教室の一番前に陣取り、真剣な顔で経済学の授業を受けていた。
陰で彼のことを「毛虫」と呼ぶ人もいた。
立派すぎる眉毛と、ガリガリの体格が、なぜか蝶類の幼虫を連想させたからだ。とはいえ、そんな失礼なあだ名も、彼には届いていない。なにしろ、彼は人の声など聞いていない。完全に孤高の世界に浸っていた。
ある日、講義中に突然、先生がこう言った。
「抜き打ちテストを行います」
教室がざわめくなか、彼がスッと後ろを振り返った。
そして、みんなの顔をぐるりと見回して、なにやら
「みんな、大丈夫か?」
という表情を浮かべたのだ。
いや、こっちが聞きたい。お前こそ大丈夫か。
私は笑いをこらえきれなかった。振り返って、心配そうに教室を見渡す、なんとも言えない毛虫の表情に、耐えられなかった。隣にいた友人も吹き出して笑っていた。
彼に友達はいたのか……たぶん、いなかった。
話しかけようにも、まずどこを見ればいいのか分からない。視線を合わせたら何かに取り憑かれそうな迫力があった。毛虫というより、もはや“神の使い”である。
でも、今思えば、彼はとても自由だったのかもしれない。寒さにも他人の目にも負けない。
他人に合わせる必要はない。そういう哲学がタンクトップ一枚ににじみ出ていた。ちょっと、いや、かなりカッコいい。
私はごく普通の服を着て、ごく普通の学生生活を送っていたけれど、そんな中にいると、ふと「自分って、地味すぎるんじゃないか」と不安になることもあった。
変人の“ふり”なんて、ああいう“本物”にはまるで敵わないのだ。
そして卒業式の日。私は彼の姿を見て、思わず目を疑った。
なんとスーツ姿だった。笑ってしまった。しかも、ちゃんとネクタイまで締めている。私は、これが最後だと思って、勇気をふり絞って、声をかけた。
「どうしたの? 今日、タンクトップじゃないの?」
すると彼は、涼しい顔でこう言った。
「中に着てるよ」
――やっぱり、最後まで本物だった。