「腕の歯形」

私は昔から「みんなと一緒」がどうにも苦手でした。
協調性ゼロ、団体行動アレルギー、集団生活ではすぐ拒否反応が出る仕様です。

5歳のころ、岡山市内の保育園から赤磐市(当時は赤磐郡)の幼稚園に転園したのですが、そこで目にしたのは――まさに世紀末。

砂場では何かしらの戦(いくさ)が勃発中。
滑り台を逆に登ろうとする子がいるし、一人乗りのブランコにみんなでしがみついているし、先生に「静かにしなさい!」と言われても、みんな音量MAX。
これ、間違って実写版『北斗の拳』のロケ地に迷い込んだんじゃないかと思ったくらいです。

当然、私は「ここは無理!」と通園拒否モード突入。
泣いて、わめいて、抵抗しましたが、結局、強制連行。

そしてある日、心がポッキリと音を立てて折れ、「もうダメだ、脱走しかない」と決意します。
その場にいた先生の腕にガブリと歯形を刻印。今思えば、あれが私の「ファーストサイン会」でした。ペンは持たずとも、小さな乳歯で意志の強さだけはきっちり刻みました。

あとで、聞けば、先生の腕の歯形はしばらく取れなかったんだとか。
先生がひるんでいる隙に幼稚園の塀を乗り越え、まるで脱獄犯のように逃走。映画『ショーシャンクの空に』のBGMが流れていました。

泣きながら、ちっちゃな足でトコトコ歩き、自宅にたどり着いたのは約30分後。
しかし、母は想像の斜め上をいく対応でした。

「そんな子はうちには入れません!」

……え?まさかの入国拒否。
泣いてもドアは開かず、仕方なく、私は第二の祖国(祖父母の家)を目指すことにしました。
お菓子と無条件の愛が保証された、楽園です。

いま、Googleマップで調べると、
「赤磐市立ひかり幼稚園」→「桜が丘西1丁目」→「山陽団地」、大人の足で一時間以上。
子どもなら2時間以上の大冒険。初めての実写版『ドラゴンクエスト』です。パーティーは主人公ひとり。

このときスライムは出ませんでしたが、田んぼの雨蛙や、小道のバッタが小さな旅人を心配そうに見上げていました。

そして私のこの逃亡劇のあと、幼稚園には「フェンス乗り越え禁止」のバツ印プレートが大量に設置されました。

こうして私は、「ひとりの道を行くのに不安を感じない少年」として育っていきました。

あの日、小さな足で踏み出した“脱走”の一歩は、結局いまも続いているのかもしれません。


誰かに決められた道より、自分の地図を広げて歩くほうが性に合う。そう気づいたのは、きっとあの雨蛙とバッタたちが見上げていた、小さな旅人の頃だったのでしょう。