「約束の舞台」
「真打になったら、いつか安田講堂で落語をやってほしい。」
あの日、大勢の卒業生のまえで、当時の副学長がおっしゃったひと言。それは、私の胸の奥に静かに火を灯す言葉となりました。
東京大学の落語研究会、いわゆる“落研”で落語に出会った私は、気がつけば高座に上がることが日常となっていました。三年生のときには学生大会で優勝を果たし、四年生になると、高齢者施設や少年院、盲学校など、社会のさまざまな場所で落語のボランティア公演を重ねました。その年、これらの活動が評価され、光栄にも東京大学の学生表彰「総長大賞」を頂戴しました。人の心に寄り添う落語の力を、社会にどう役立てていくのか。それは、若き日の私が自分自身に課した問いでもありました。
卒業後は、春風亭昇太師匠の門をたたき、落語の世界に身を投じました。2007年、私は落語家・春風亭昇吉として新たな道を歩み始め、そして2021年5月、念願の真打昇進。
あの約束の場所――安田講堂での真打披露落語会は、実に15年越しの夢の実現となりました。多くの方の温かいご支援と、落研の先輩方、そして師匠方のご厚意によって、この晴れの舞台に立つことが叶ったのです。
当日は、私の師・春風亭昇太師匠、テレビ番組でご一緒している立川志らく師匠、そして学生時代から深く敬愛する桂文枝師匠が、三名揃って口上を述べてくださいました。そのとき私は高座の上で頭を下げ、「私はなんと恵まれているのだろう」と、胸が熱くなったのを今も忘れません。
真打披露目のトリでは「たがや」を口演し、最後のオチが決まった瞬間、講堂全体が大きな拍手に包まれました。あの歓声は、15年の歳月が報われた瞬間だったのかもしれません。心より、それまで支えてくださったすべての方々に深く感謝申し上げます。
同日行われた、記念座談会では、学生時代にお世話になった先生方とも久々の再会を果たしました。落語と東京大学の意外なご縁についても、話は尽きることがありませんでした。たとえば、東大落語会のOBは、名著『落語事典』の編集にも携わり、夏目漱石や正岡子規といった文豪たちの作品にも、たびたび落語の情景が登場します。
文学も、笑いも、突き詰めれば人間の心の機微を描く営みです。時代が変わっても、人が何かに涙し、ふとしたことで笑う。その本質は変わらないのだと、改めて実感しました。
落語は、古くて新しい芸能です。江戸から令和へ。受け継がれてきた噺に、現代の風を吹き込むこと。それが、今の私に託された使命だと感じています。
その日、私は、東京大学卒の、初めての真打になりました。