「月一本の約束」
前座時代、師匠にこう言われました。
「月に一本でいい。新作落語を書いて持ってこい」
師匠は、そのたびに拙い台本を丁寧に読んでくださり、講評までしてくださるのです。今になって思えば、あれほど贅沢で、ありがたい時間はありませんでした。いまの若い弟子たちも、あのようなご指導を受けているのでしょうか。ふと、そんなことを考えることがあります。
台本がたまってくると、どこかで試してみたくなるのは、自然な心の動きというものでしょう。そこで私は、新宿三丁目にある「道楽亭」という小さなバーで、ささやかな勉強会を開くことにしました。
初めて自作の新作を高座にかけたあの日のことは、今でも鮮明に覚えています。まるで地図のない道を、あてもなく車で走っているような心細さと、それでも前に進みたいという興奮とが入り混じった、忘れがたい感覚でした。
けれど、それが面白かったのです。
古典の場合は、どこでお客様が笑ってくださるのか、ある程度は予想できます。しかし新作となると、自分では「ここで笑いが起きるはずだ」と思っても、お客様はまるで波風立たぬ湖面のように静まり返ったまま。思うようにはいかないものです。
話し終えたときには、もう全身汗だく。座布団の上にいただけなのに、まるでひと仕事終えたような疲労感でした。
昇太師匠や柳家喬太郎師匠が、まるで何でもないことのように新作を演じておられる姿を拝見すると、「あの境地に至るまで、どれほどの努力と時間を積み重ねてこられたのだろう」と、尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。
結局は、続けるしかない。うまくなる道は、それしかないのだと、心に決めたのです。
そこで私は、それから十ヶ月間、毎月新作三本、古典一本を勉強会で披露すると決めました。新作三本のうち一本は、落語芸術協会に伝わる定番の新作。これは寿輔師匠や笑三師匠から教えていただいたものです。一本は落語作家の先生に書いていただいたもの。そしてもう一本は、稚拙ながらも自分で書き上げた自作です。
当時は脇の仕事も多く、ただでさえ慌ただしい日々でしたが、不思議と筆を取る手は止まりませんでした。毎月新作をひねり出し、さらに二本の新作を体に覚え込ませるのは決して楽なことではありませんでしたが、不思議と「苦しい」と感じたことはありません。むしろ、それが日々の励みになっていたのかもしれません。
一度高座にかけたあと、結局そのままやらなくなってしまったネタも、数え切れないほどあります。でも、それでいいのだと、今では思います。自分の頭の中で描いているだけでは、落語は決して完成しません。お客様の前に出て、反応をいただいてこそ、初めて落語の世界は立ち上がるのです。
お客様は毎回二十人ほど。もともとの知り合いが大半でしたが、その知り合いに誘われて初めて来てくださった方が、やがて足繁く通ってくださるようになりました。これ以上ないほど、ありがたいことです。
思えば、前座の身で一人勉強会を開くなど、当時は珍しいことでした。それでも、古典はきちんと稽古で磨き、新作では肩の力を抜いて楽しんでいただけるようになれば。それが、私なりの「色」になるのではないか。そんなふうに考えておりました。
しかし、毎月一本、必ず客前で新作を披露するというのは、言うほど簡単なことではありません。あるとき、思わず師匠にこんな質問をしてしまいました。
「新作落語をつくるより、古典の滑稽噺に面白い“まくら”や新しい“くすぐり”を考えるほうが、商売になるんじゃないでしょうか?」
すると師匠は、きっぱりとこう仰いました。
「うちは、新作落語の一門なんだ!!」
そのときの師匠の真剣な眼差しは、今も忘れることができません。
「月に一本でいい。若いうちに書いておけ」
あのひと言に、どれほどの愛情と覚悟が込められていたのか。あの頃の私は、まだ知る由もありませんでした。
できない理由を探すのは、簡単です。でも、できるようになるまで、何も言わず、じっと見守り続けてくださったのは、ほかでもない、師匠でした。
あのときの奮闘が、今の私を形作っています。そして、落語家であるということは、新しいものを生み出すことなのだと。いまになって、ようやくその意味がわかるようになりました。
あれから毎月一本、今月も一本、書き上げました。