「最上川舟唄」

2021年の春。世界がまだ重たい空気に包まれていたあの頃、私は師匠・春風亭昇太から、思いがけない一言をいただきました。

「おめでとう。真打だよ。」

その瞬間、不思議なくらい実感は湧きませんでした。長い階段を登ってきたはずなのに、足元の感触はそれまでと何も変わらない。けれど、気づけば胸の奥から、静かに、そして確かにこみ上げてくるものがありました。

——支えられて、ここまで来た。

お客様、師匠方、そして応援してくださる一人ひとりの温かいまなざし。思い返せば、苦しいときも悩んだときも、必ず誰かがそっと背中を押してくれた。そんな「人の温もり」こそが、私を今日まで歩ませてくれたのです。

迎えた真打披露の宴。会場は新宿・京王プラザホテル。
感染対策のために、飲食もなく、席間も広く取られた異例の形式でしたが、それでもご参席くださった皆さまの眼差しは、驚くほど温かく、優しく、会場は静かに幸福な空気に包まれていました。

祝辞をいただいたのは、母校・東京大学経済学部のご卒業であり、同郷・岡山県の加藤勝信官房長官(当時)。ご多忙のなか立場を超えていただいた激励の言葉は、まるでふるさとの風のように、心に深く沁み入りました。

そしてもう一つ、忘れがたい光景があります。
静岡放送『オレンジ』でご一緒したご縁から、歌手・朝倉さやさんが、この日のために特別に『最上川舟唄』を歌ってくださったのです。

彼女は、番組で静岡県内の小学校を訪ね歩き、最後にアカペラで歌を贈る。その歌声に、子どもたちは目を潤ませ、大人たちも心を打たれる。私も幾度となく、その澄んだ歌声に胸を震わせた一人です。

この日、京王プラザホテルの大ホールに響いた彼女の歌声は、まるで春を告げる風のようでした。厳しい目を持つ師匠方も思わず感心し、会場は静まり返り、誰もが歌声に心を預けていました。
あとで聞いたところによると、マスコミ関係者から彼女にはいくつもの出演オファーが届いたそうです。そう聞いたとき、私は「やっぱり、本物の才能は、人の心を動かすのだな」と改めて感じました。

真打昇進披露の場で、私がどうしても実現したかったのは二つ。
一つは、山本進先生に口上を書いていただくこと。
もう一つは、この日、彼女に歌っていただくことでした。

その願いが叶い、私は心の底から満たされた気持ちで、最後の挨拶に立ちました。
「一人でしゃべる商売なので、つい自分の力だと勘違いしがちですが、今日改めて、こうして皆さまに支えられて生きているのだと、痛感いたしました。」

——この言葉は、私の偽らざる実感でした。
そして、もう一つだけ。
「これからは、自分がトリを務めることへの責任感で、いっぱいです。」

寄席の高座に立つということ。それは、己一人の力では成し得ない舞台。
気負わず、でも全力で。

披露興行は、5月1日、新宿末廣亭から始まりました。
都内六つの寄席を巡る日々。かつてのにぎわいが、少しずつ戻りつつある光景に、胸が熱くなりました。

あの日、京王プラザの天井に響き渡った歌声のように、私もまた、人の心にそっと残る落語を届けられる噺家でありたい。
そんな思いを胸に、今日も高座に向かっています。