「下北沢、春の片道切符」
師匠に入門のお願いを何度かいって、あるとき、手紙と履歴書を受け取ってもらえました。
二週間ほど経ったある日、昇太師匠からお電話をいただきました。
「本多劇場に、来てくれないかな」
そんな一言に、思わず胸が高鳴りました。弟子入りを断られるのなら、わざわざお呼びはかからないはず。もしかして……と思った瞬間、安心したのか、全身の力がふっと抜けていったのを、今でもはっきり覚えています。
指定された日に下北沢の本多劇場へ伺うと、師匠はまず、「落語家っていうのはね、ほんっとに食えないんだよ」と仰いました。
どんな話が来ようとも、私の返事は一つだけです。
「それでも、どうしても落語家になりたいんです」
「貧乏は、覚悟しています」
迷いはありませんでした。
師匠からは、中学時代は何部だったか、親には話してあるのかなど、いくつか質問を受けました。
実は……そのとき、私はまだ親には何も言っておらず、むしろ「金融系の会社に就職が決まったよ」などと、ウソまでついていたのです。
でも、その場では思わず「もちろん話しています。問題ありません」と答えてしまいました。
今にして思えば、なんて無鉄砲で、嘘つきで、でもどうしようもなく一途な若者だったことでしょう。
面談の最後、昇太師匠はこう仰いました。
「まあ、弟子にするつもりなんだけどね。もう一度、よく考えてみてよ」
本当はすぐにでも「お願いします!」と頭を下げたかったのですが、そう言われてしまっては、一旦引き下がるしかありません。
帰り際、マネージャーさんにこっそり相談しました。
「すぐにでも弟子入りしたいんですけど、常識的に、どのくらい間を空けたらいいものでしょうか」
「うーん、一週間くらいじゃない?」
そのアドバイスに従い、ちょうど一週間後、改めて「弟子にしてください」とお願いに伺いました。
こうして、平成十九年四月十六日。
私は春風亭昇太一門の末席に加えていただくことになったのです。
あの日の桜は、もう散り際でしたが、私の中ではようやく、春が訪れた気がしておりました。