『小説・古今亭志ん朝』
小説・古今亭志ん朝: 芸は命、恋も命
本阿弥書店
金原亭 伯楽
117
27歳
三木のり平という名優であり名演出家に出会えた
136
文楽はにこりとしない真顔で言った
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稽古とか、練習のような芸を見せては失礼だ
演じるときは、お客様に良いか悪いか決めて頂く勝負の時、
演者が何人かいる場合は、競演と考え、他の演者に勝たなければならない
145
30代後半に志ん朝が落語にかけた情熱は、その独演会の数の多さを見てもわかる
151
追い抜かれ18人衆を全員真打に昇進させたい
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私は落語を単に大衆芸能であると思いたくありません。
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志ん朝のたった五年で真打に昇進という異例の出世も元はと言えば圓生が、その才能を見抜き、
当時の会長、桂文楽に推挙したことからだった
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「わたしの希望としましては、次期会長は志ん朝さんにやってもらいたいと思います」
談志の顔色が変わった
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私亡き後、弟子たちが協会に戻れるよう、骨を折ってやってもらえませんか
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後輩には出来る限り、いい落語を演じてみせ、何かを感じてもらおうと心掛けた
180
噺家はいつまでも可愛がられるだけではだめだ。大看板として尊敬されるような噺家になれ
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決して体調が悪いからなどと言い訳するような芸は見せなかった
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50代前後が志ん生を襲名するのに良い時代と考えていた
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ぬるま湯につかっている奴を引っ張り出して、水をぶっかけてまでして、育ててやろうという気になれなかった。
人間は自分で気づかなければだめだ。
288
昭和33年の春、「若手落語会」に前座の身分で朝太がデビュー。
演目は「火焔太鼓」