『律令国家と隋唐文明』
『律令国家と隋唐文明』
大津透
岩波新書1827
61
日本:中国から見た国号
日本は本来、東方、極東を意味する一般名詞
120
日本への帰化人(渡来人)の流入は、魏晋南北朝の対規模な民族移動・流民の一環
流民知識人
157
唐風化としての天皇受戒
戒師として招聘された鑑真
衛門、兵衛
頼朝=右近衛大将=唐名:幕府
本名は言わない:いみな
通り名:九郎兵衛
軍の階級と、律令制
慶長16年(1611年)には武家官位を員外官(いんがいのかん)として公家官位と切り離す方針が打ち出され、禁中並公家諸法度(第7条)により制度化された。 これは将軍であっても例外ではなかった。 武家と公家の官位を切り離すことによって、武士の官位保有が公家の昇進の妨げになる事態を防止した。
庁:検非違使庁→治安関係
武庫=六甲
平安:Pぷじぱらのぷぴちょ
戦国:Fふぁしばふぃでよし
659年 大化の改新の立役者の中臣鎌足の次男として生まれる。
「不比等(ふひと)」の名前に「史(ふひと)」の字を当てている。
669年 父の中臣鎌足が功績により藤原の姓をたまわる。
名を藤原不比等に変える。
701年 大宝律令が完成する。
710年 平城京に移る。 → 奈良時代が始まる。
718年 養老律令を完成させる。
大和朝廷の中央集権化に力をつくしたことであろう。律令を編集した。この藤原不比等がのちの平安時代の藤原氏の栄華の基礎となった。
恵美押勝の乱
天平宝字八年(七六四)、恵美押勝(藤原仲麻呂)が道鏡を除くために起した反乱。