『地獄の黙示録』
『地獄の黙示録』
Apocalypse Now(1979 アメリカ)
監督:フランシス・フォード・コッポラ
脚本:ジョン・ミリアス、フランシス・フォード・コッポラ
原作:ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』
製作:フランシス・フォード・コッポラ
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
編集:リチャード・マークス
音楽:カーマイン・コッポラ、フランシス・フォード・コッポラ
出演:マーロン・ブランド、ロバート・デュヴァル、マーティン・シーン、デニス・ホッパー、フレデリック・フォレスト、アルバート・ホール、サム・ボトムズ、ローレンス・フィッシュバーン、ハリソン・フォード
Apocalypse
- 〔ユダヤ教およびキリスト教の〕啓示書
- 〔一般的な〕啓示
- 《the ~》世の終末、大災害
- 《the Apocalypse》《聖書》ヨハネの黙示録
【作品概要】
「ゴッド・ファーザー」シリーズのフランシス・フォード・コッポラ監督が1979年に発表。
膨大な製作費や過酷な撮影環境、CGなしの壮大なスケールの映像。
ベトナム戦争末期、アメリカに一時帰国をしていたアメリカ陸軍空挺将校のウィラード大尉(マーティン・シーン)は、妻と離婚し、再びベトナムへと戻ってきています。
サイゴンのホテルで指令を待っていたウィラードは情報司令部から呼び出されます。
その任務は、元グリーンベレー隊長のウォルター・E・カーツ大佐(マーロン・ブランド)の暗殺指令。
サーフィンをするためベトコンの基地を襲撃します。
撮影が延びていく中で台風が直撃し、セットが壊れたり、予算が底を尽きてしまいエキストラが集まらなかったり、さらにはカーツ大佐役のマーロン・ブランドが太っていた挙句に原作である『闇の奥』も読んでいなかったなど様々な問題。
「良い映画監督はアドリブで現場に合わせて良い画を撮る。」
「ベトナム戦争そのものが矛盾であるため、脚本に矛盾がつきまとうことは当たり前。」
本物の山岳民族であるイフガオ族の祭りと本物の水牛を儀式的に屠る場面
ウィラードがカーツを殺すことを決意して原始的な沼から頭を出すシーンは、思いつきからたった三時間で作られたシーン。
地理的にカーツに近づくにつれ、様々な地獄の情景を目の当たりにしたウィラードがカーツに同化していき最終的に“父殺し”として乗り越える旅
見境なく村人を虐殺した挙句に治療する、ハラワタが出るまで戦ったから水をやるといって水筒を差し出す、機関銃を浴びせた女性を手当てするといった様々な偽善
偽善に対して嫌気がさし、脱走したカーツに共感
「なぜキルゴアがやっていることは許されて、カーツがやっていることは許されないのか」
現実では1970年に「カンボジア侵攻作戦」が起き、アメリカがカンボジア領に攻撃を始めます。
“必要な軍事行動は果断に、無慈悲に、怯むことなくやりとげなければならない”
カーツ自身もまたニヒリズムと自己神格と原始的本能というもうひとつの偽善に塗り固められた存在
1969年。ベトナム戦争も末期
ウィラードはかつてCIAの諜報部員として要人暗殺の秘密作戦に従事
ホテルの部屋で一人暴れて怪我
“I love the smell of napalm in the morning.” (朝のナパーム弾の香りは格別だ)
莫大な予算、遅れる日程、ジャングル、台風、セットの崩壊、デブで言うことを聞かないマーロン・ブランド
構成があって、しっかりと観客にとっての見やすさ、わかりやすさを担保した上で、その枠の中で混乱を再現。「地獄の黙示録」にはそれがない。観客にとって親切な「枠組み」というものがない。
ジョン・ミリアスの脚本の気に入らないコッポラがその場で脚本を書き換えて、即興的に撮影を行なっていった。
主人公のウィラードが、カーツをどうするべきかわからなくなっちゃうんですね。
時間稼ぎのように、コッポラはカーツにいろいろ「なんか哲学っぽいこと」を語らせたり、詩集を読ませたり。マーロン・ブランドの即興が多かった。
ウィラードが「別にこれといったきっかけも、意味もなく」カーツはやっぱり殺そう!と決意