『物語 ウクライナの歴史』
『物語 ウクライナの歴史』
ヨーロッパ最後の大国
黒川祐次
中公新書
II
1991年の独立
キエフ・ルーシ公国の首都はキエフ
ゴーゴリはコサックの末裔
III
モンゴルの侵攻などでキエフが衰退したのに対し、いわば分家筋のモスクワが台頭
2
スキタイ人が活躍した黒海北岸
5
スキタイ神話が朝鮮半島を経由して日本まで伝播した可能性
9
黒海周辺に住んでいたという好戦的な女人族アマゾンの伝説は、ほぼ間違いなくスキタイ文化を観察した結果生まれたもの
11
大麻=スキタイのお香
12
ズボンの発明者
21
紀元前7世紀
パクス・スキティカ
23
ヨーロッパの義父
31
ハザールは、イスラムが東からヨーロッパへ侵入するのを食い止めた
33
ルーシの首長リューリク
40
王朝の威信がその婚姻関係で推し量れる
42
キリスト教を通じてビザンツ文化を吸収した
51
モンゴルは、ロシアやヨーロッパから「タタール」と呼ばれた
56
ルーブルは、切り取られた、という意味
60
リトアニア人は、インド・ヨーロッパ語族に属するが、スラヴでもゲルマンでもない孤立した民族
62
1362年リトアニアは、不敗を誇ったキプチャク汗国と戦い、ヨーロッパ側で最初に勝利
75
ユニエイト(合同教会)
79
オスマン・トルコは軍とハーレムのためたえず奴隷を必要としていた
82
ウクライナ=土地、国=英語でいう「ランド」
87
コサックという言葉は、トルコ語で「分捕り品で暮らす人」
94
遊牧民満州族の弁髪にも通じる
95
名誉の床=戦場
125
ポチョムキン村
129
ヨーロッパのパン籠
132
ウクライナ人=小ロシア人
138
ソ連時代には、教会が閉鎖されて体育館に
155
ウクライナ系アメリカ人の存在
156
カナダでは、テレビでウクライナ語の放送も
158
穀物、砂糖、タバコ、ウォッカ
189
協商国の経済封鎖で医薬品が乏しかった
198
ボリシェヴィキを支持する工場労働者が一か所に集中的に住んでいてオルグしやすいのに対し、独立を支持するはずの農民は散らばって住んでいたので組織化するのが難しかった。また、農民は教育程度が低いままに押さえられていた
212
食物を隠している者は社会主義財産の窃盗として死刑とする法律が制定された
214
この時期にもソ連は平然と穀物を輸出し続けていた
218
第一次世界大戦後、日本とウクライナ独立派との接触が旧満州(中国東北部)で見られた
219
多くのウクライナ人がソ連の支配を嫌って旧満州、とくにハルビンに逃れた
https://www.travel-zentech.jp/world/map/china/Harbin.htm
https://spc.jst.go.jp/experiences/karyu/karyu_1106.html
222
ドイツは東部戦線において食糧と労働力の供給源としてウクライナを重視した。ドイツがソ連占領地域から徴発した食糧の85%はウクライナからのものであった。
「オストアルバイター(東方労働者)」
226
なぜヤルタが選ばれたのか。それは、スターリンが自ら対独戦争について多くの決断をなさねばならず、ソ連領を離れなれないと英米首脳に申し入れたから
234
皮肉なことに、独立はならなかったが、大戦前それぞれ四カ国の支配下にあったウクライナ人居住地域はほとんどすべてソ連の下のウクライナ共和国にまとめられた。
235
少数民族を作らないように民族分布を新国境に合わせることになり、東ヨーロッパ各地で民族の交換が行われた
246
広島型原爆500発分の放射能
251
国旗は上が大空を表す青、下が大地(麦畑)を表す黄の二色旗
いずれも中央ラーダ政府が制定したものの復活
255
人口は5000万人でフランスに匹敵
259
両国が世界で核の悲劇の直接の被害者