『安楽庵策伝和尚の生涯』
『安楽庵策伝和尚の生涯』
関山和夫
法蔵館
3
平林平太夫は策伝の自称であって俗名ではない
策伝は金森家の出身という経済的実力をもち、幇間的存在ではない
20
策伝の兄、金森長近は豊臣秀吉の御咄の衆となった高名の茶人
22
岐阜県、愛知県地方に、平林姓がかなり現存している
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法然の浄土教の展開は、曼荼羅講説という特殊な優れた方法(視聴覚説法)をもってなされたのであるが、これは日本文学・芸能方面にも著しく影響し、日本文化史とは密接不離の関係にある
53
安楽庵策伝の名は、茶道史上で知られており、安土桃山時代の茶人として足跡をのこしている。
70
「茶」と「咄」の密接不離の関係
76
「咄」は説教や茶道と密接に結びついて発展をとげ、秀吉の「御咄の衆」優遇などにより上方の地を中心にして成長していった
92
『醒睡笑』の翻刻はかなり多くなされている。
93
「笑い」を中心とした咄本の古いものには、『醒睡笑』のほかに、『戯言養気集』及び『きのうはけふの物語』がある。
98
『醒睡笑』の真価は、唱導性にあり、説教の系統の上に存する
115
これら三書はほぼ同時代に前後して出たものであるが、厳密に言えば『戯言養気集』が最も古いとすべきであろう。
116
『きのうはけふの物語』となると、その内容から言って如何にも策伝作ではないかと想われる節が多分にある
122
『曾呂利狂歌咄』は策伝の作ではない
152
策伝と松永貞徳とは、和歌・俳偕・狂歌・茶道の全てを通じて交渉があったようである
170
策伝は、後水尾天皇より紫衣勅許を賜り、清涼殿で曼荼羅を講じた参内僧である
184
策伝は決していわゆる学徳兼備の聖僧ではない
あくまでも人間味豊かな説教僧である