効率と伝統
大学に入学したばかりの頃、私はまるで未知の世界に足を踏み入れたような心持ちで、広いキャンパスを歩いていました。そんなある日、学生たちが路上で小冊子を販売している光景に出くわしました。その小冊子には「教員教務逆評定 一冊三百円」と記されています。これは通称“逆評定”と呼ばれるもので、学生が教員や講義を評価した、いわば東大版のミシュランガイドのような存在です。
この冊子には、教授ごとに講義の難易度や単位の取りやすさが「鬼仏度」という独自の尺度でランク付けされており、講義の傾向や評価方法など、きめ細かな情報が掲載されていました。学内サークル「時代錯誤社」が学生アンケートをもとに作成し発行しているこの冊子は、まさに“東大生必携”と呼ぶにふさわしい一冊です。
もちろん、こうした情報を鵜呑みにすることにはリスクも伴いますが、私は「大仏」評価――すなわち比較的単位が取得しやすい科目を中心に履修し、着実な卒業を目指しました。興味や向学心だけで科目を選ぶという幻想は捨て、戦略的に単位取得を重ねていったのです。
加えて、東大生の間で定着している試験対策――いわゆる“シケタイ”も、極めて組織的でした。科目ごとに先輩たちが作成したノートや過去問が後輩へと受け継がれ、必要に応じてコピーして共有されます。英語は〇〇さん、経済学は××さんというように、それぞれの得意分野を持つ仲間が講義のノートや情報を持ち寄り、時には講義に出席しなくとも、そのノートを読むだけで単位が取れるほどでした。効率と合理性を極めた、チームプレーの世界がそこにはありました。
実は、大学で培った合理主義と共同作業の知恵を、落語の前座修業にも活かせないかと試みたことがあります。たとえば、現場の情報を共有する仕組みや、落語の台本を手分けして作り磨き上げるシステムを考えたのです。しかしながら、伝統芸能の世界ではこうした手法は受け入れられず、導入を断念した経緯があります。当時は、その都度徒手空拳でトライアルアンドエラーをくり返したり、二度手間や非効率・不公正が常態化していることを愚かしいと見下していましたが、今考えてみると、思い上がった考えですね。人それぞれに人生があるし、無駄に見えるものに真理があることもあります。
それでも、学生時代に培った「限られた時間で成果を上げるための仕組み作り」の重要性は、私の思考や行動に大きな影響を与え続けています。ものごとの本質を追求する理想も確かに尊いものですが、現実を生き抜くための実利的な知恵もまた、欠かすことのできないものだと痛感しています。やがて私は落語の世界へと飛び込みました。修業のスタートにあたっては、ただ漠然と努力するのではなく、自ら段階的な目標を設定しました。
第一段階は「生活のための最低限の収入を得ること」でした。大富豪になりたいということではなく、まずは家賃や生活費を賄うための現実的な目標を掲げたのです。前座になりたての頃は日給千円で、電車賃すら払えず、寄席まで歩いて通うこともありました。「所得の最大化」を意識し、何とか月十五万円ほどを稼ぐことを目指し、幸い一年目でこの課題はクリアできました。
次に掲げたのは、「場数の最大化」でした。一日も早く落語が上達するよう、どんなに小さな高座の仕事も積極的に受け、実戦経験を積むことを重視しました。「ギャラ三千円しか出せません」と言われても、経験になるなら喜んで出かけていきました。松丘亭といった寄席での仕事もその一例です。とにかく安い仕事も断らず、数をこなすことで落語家としての土台を築いていきました。
しかし、やがて“数”だけを重ねるやり方に限界を感じるようになりました。慌ただしくあちこち飛び回るだけでは、芸の質はなかなか向上しません。稽古に時間をかけ、一つ一つの演目を丁寧に準備することに注力するようにしました。量を知った上で初めて“質の重要性”に目が向くようになったのです。
その次の段階は、「ワーク・ライフ・バランスを大切にすること」でした。前座時代、過労による体調不良も経験し、休息の重要性を痛感しました。意識して休暇を取り、歌舞伎を観劇したり旅行に出かけたり、私生活の充実にも努めるようになりました。旅先での出来事が落語のネタになったり、私生活の余裕が芸に深みを与えることもあります。落語だけに没頭するのではなく、人生そのものを豊かにする――このバランスこそが、芸の幅を広げてくれると信じています。
そして現在、私は「芸を受け継ぐこと」を最重要の課題と捉えています。2012年にはNHK新人演芸大賞で『たがや』を演じて本選に出場し、その後も2013年に『たけのこ』、2014年に『紙屑屋』で本選に出場しています。2015年の第一回若手演芸選手権では『安いお店』で優勝、2016年の北とぴあ若手落語家競演会でも『安いお店』で大賞、2017年さがみはら若手落語家選手権では『あたま山』で優勝と、さまざまな演目に取り組んできました。
コンペティションで勝つこと自体が目的ではありません。演目の細やかな動作や間を自分のものにするために、落語の師匠はもちろん、他分野の先生方にも教えを請い、貪欲に技術や知見を学びました。仕事よりも稽古を優先し、ときには仕事を断ることもありましたが、そうして積み重ねた経験が、やがて血肉となり、より質の高い仕事につながっています。こうして“受け継ぐ”喜びを、強く実感しています。
大学で学んだ“合理と効率”の知恵、そして落語家修業を通して培った“段階ごとの目標設定”――これらすべてが、今の私の礎となっています。落語家の道には、この先もいくつもの新しい段階(フェーズ)が待ち構えているでしょうが、「一生修業・一生勉強」を胸に、これからも歩み続けてまいります。