自習室の隅っこ
高校を卒業してから、読書と司法試験の勉強をしながら、僕の心の中には「岡山から飛び出したい」という思いが強くなっていた。岡山は「晴れの国」と呼ばれるほど気候も穏やかで、食べ物も美味しい。人も温厚だ。だけど、僕にはその穏やかさが物足りなく思えた。もっといろんなことを知りたい。いろんな人と出会いたい。――そのためにはどうしたらいいのだろう。考えた結果、僕は一つの答えにたどり着いた。
「東京に行って、もう一度ちゃんと大学生をやろう」。思い立ったら、すぐに行動した。
だが、我が家の経済状況を考えると、私立大学は到底無理だ。ならば、国立大学、それも本気で勉強できる場所がいい。自ずと目標は東大に絞られた。本当は、文学部で美学・芸術学を学びたかったのだが、それでは、生活できないので、経済学部にゆく文科Ⅱ類をめざすことにした。
僕は予備校生活に突入することになった。
親にこれ以上負担をかけるわけにもいかず、岡山の代々木ゼミナールの特待生試験を受け、授業料を免除してもらった。交通費節約のため、親戚に買ってもらった原付バイクで通うことに。一見無鉄砲だが、実はよく対策を練っていたのだ。
約一年間、朝から晩まで勉強漬けの日々が始まった。朝は五時に起き、家族が眠る中で朝食と昼食を自分で用意する。昼食は、パンとソーセージをアルミホイルでトーストしたものが定番。インスタントコーヒーをスプーン20杯ぐらい水筒に入れ、それを、予備校の廊下にある冷水機(ウォータークーラー)の水で薄めながら、一日かけて飲む。勉強に集中するためにも、無駄な出費は極力抑えた。ガソリン代とフランクフルト一個と、コーヒー。
原付で四十五分かけて通学し、六時には代ゼミに到着。自習室が開くと同時に一番乗り。
自分の「指定席」と決めた一番手前の端っこの席に座る。職員のおばちゃんやおじさんとも顔なじみになった。
授業は夕方五時まで、その後は閉館まで自習室で勉強。夜十時頃に帰宅し、風呂、筋トレ、就寝。一日16時間、まさに勉強漬けの毎日だった。
でも、不思議と辛いとは思わなかった。楽しくてしかたがなかったのだ。全国のサテライト授業のレベルの高さに刺激を受け、未知の知識に触れるワクワクで毎日が充実していた。「勉強って、こんなに楽しいものだったのか」と実感し、成績はどんどん伸びていった。特に国語は、当時、Z会の東大現代文専科QLAというので全国一位になってから面白くてしょうがない。東大模試の判定はE→D→C→B→A。普通、浪人生は、このようにはならないらしい。東大は現役率が高い。
ついに迎えた合格発表の日。家に速達が届いた。郵便のバイクのおと。封書をあけて、静かにガッツポーズ。祈るような気持ちで何度も確認した。
すぐに父へ電話。「東大に受かったよ」。電話口の父は、工事現場の電柱の上から「えええーっ!」と叫び、危うく落ちそうになったと、後日笑い話になった。
代ゼミに合格報告に行くと、自習室のおばちゃんから万年筆、おじさんには天ぷら屋さんでお祝いをご馳走になった。そこで初めて食べたバナナの天ぷらの味は、今でも忘れられない。
こうして、僕は二十三歳にして東大生になったのだった。
振り返れば、無謀とも思える挑戦だったかもしれない。
でも、自分の心に正直に、「知りたい」「会いたい」「やってみたい」という思いに従った先に、新しい世界が広がっていた。
努力が報われる瞬間の喜びも、たくさんの人との出会いも、すべてが宝物だ。