立ち読みと夜風と

僕は学生時代、かなり変わり者だと思われていた。中学・高校のころ、体育祭の創作ダンスや集団体操が大の苦手だった。みんなは「なんで踊らないの?」と不思議そうに見るが、僕は「なんで体操服を着て、踊らなくちゃいけないの?」と心の中でつぶやいていた。協調性はゼロに近かった。自分だけの楽しみや自由を、無意識のうちに大切にしていたのかもしれない。
そんな僕が夢中になったのはお笑いだった。特にダウンタウンの松本人志さんが大のお気に入りで、彼の番組『一人ごっつ』の展示会が大阪で開かれたときには、我慢できず、授業をさぼって新幹線で岡山から大阪まで観に行ってしまった。周囲には理解されなくても、僕にはどうしても譲れない“ささやかな自由”があったのだ。
大学生になっても、その感覚は変わらなかった。岡山大学に通い始めても、古本屋で買った文庫本に没頭し、気の合う友人の部屋でウィスキーを片手に語り合う――そんな日々を送っていた。他人と足並みをそろえるよりも、自分だけの静かな楽しみを見つけて過ごしていた。
そんなある日、駅の中の本屋でふと手に取ったのが、志の輔師匠の『古典落語100席』という本だった。落語のあらすじが短くまとめてあり、一話数分で読める。岡山駅の山陽本線は電車を逃せば次は三十分後。だから電車待ちの時間に読むには、この本はピッタリだった。せわしない日常や、不自由な環境の中でこそ、心だけは自由でいられる。そんな制約のなかの至福を、僕は立ち読みの時間に見いだしていた。
もっとも、買ったわけではなく、立ち読みである。待ち時間の三十分で何話か読み、電車の中で「さっき読んだネタは、こういう流れで、オチはこうだったな」と頭の中で再生する。まるで英単語を覚えるように、落語のネタを頭に叩き込んでいった。
それまで落語といえば「時そば」くらいしか知らなかったが、この本には「子ほめ」「たらちね」「金明竹」「弥次郎」「たぬき」など、展開もギャグも予想のつかない話ばかりが並んでいた。僕はその魅力にすっかり取りつかれてしまった。
古くて新しい――落語のネタを頭の中で繰り返し再生している時間は、誰にも邪魔されない至福のひとときであり、孤独な僕の心の拠りどころだった。他者からは理解されなくても、自分だけの密やかな幸せ。それこそが、僕の青春だったのだと思う。
やがて僕は落語家の道に進む。寄席の前座として働く中で、ここにも「制約のなかの至福」はあった。
寄席が忙しくなるのは、2回ある。一つ目は正月興行。出演者が多く、普段の二部制が三部制になり、一人あたりの持ち時間も短い。その分、お茶出しや着物を畳む作業も大量かつスピーディーにこなさなければならない。加えて、お年玉の受け渡しもある。現金の管理はミスが許されないので、これもまた気が抜けない。さらに、忙しい楽屋仕事の合間を縫って、一人ひとりに新年の挨拶や高座返し、太鼓などもこなさなければならない。この時期が終わると、普段の寄席がまるでスローモーションのように感じられる。
もう一つ忙しいのは、真打披露や襲名披露興行のときだ。幕のかけ替えや、口上用の緋毛氈の用意があり、楽屋は人であふれかえる。狭い楽屋にぎゅうぎゅう詰めで作業するので、着物も畳みにくいし、お茶を出すのにも一苦労。そんな中、ただいるだけの二ツ目が前座に無駄話をふってきたりするので、正直やりにくいことも多い。
しかし、こうした特別興行に密かな楽しみがあったのだ。「ノセ物」と呼ばれる美味しい食べ物が楽屋に並び、真打の師匠方が食べ残したものはすべて前座のものになる。時には食べ残しが多すぎて困ることもあるが、僕にとっては、食べるものに困る日々の中で本当に助かった。そして、楽屋には酒も出る。真打の師匠方が乾杯するためのものや、お客さんからの差し入れだ。この時期、前座は本来酒を飲むことが禁じられているが、同じ前座の三遊亭小笑兄さんは冷蔵庫のビールを誰にも気づかれずに持ち出すプロだった。
段ボールから冷蔵庫へビールを補充するふりをして、冷えたビールを自分のカバンや服の中に忍ばせる。掃除のお茶子さんたちも全く気づかない。ある日、小笑兄さんが盗んだビールを、二人で新宿駅東口の広場で飲んだ。緊張感から解放された夜、都会の風に吹かれ、階段に腰かけて飲むビールは、なんとも言えず格別な味がした。

青春の味は、あの日の落語本の立ち読みと、あの夜の風で、できている。
そんなふうにこっそり味わった“小さな自由”が、気がつけば人生そのものになっていた。