らくごを触る――ユニバーサル落語絵本づくり
私が上京する前、テレビで見た一本の特集番組がずっと心に残っていました。赤塚不二夫さんが、あの名キャラクター・ニャロメを使って、点字絵本を制作していたのです。目の見えない子どもたちにも楽しい世界を届けたいという思いに、私は胸を打たれました。
それから十数年。私は落語家となり、盲学校でのボランティア公演を経験するなかで、ずっと思い続けていた夢がありました。「落語の点字絵本をつくりたい」という願いです。
けれど、それは自分ひとりの力では到底かたちにできるものではありませんでした。ある方のご紹介で公益財団法人共用品推進機構の専務理事・星川安之様にお話ししたところ、「ぜひ協力しましょう」と、すぐに背中を押してくださったのです。
星川様は、障がいの有無にかかわらず誰もが使える「共用品・共用サービス」の普及に尽力されてきた方です。私の未熟な発想をあたたかく受け止めたうえで、「本気でやるなら、一緒に走りましょう」と、プロジェクトの扉を開いてくださいました。
さらに、星川様のご紹介で出会えたのが、「手と目でみる教材ライブラリー」(東京都新宿区)を主宰されている大内進先生です。筑波大学附属視覚特別支援学校で長年教鞭をとられ、教材のユニバーサルデザイン化に精通された専門家です。
私が「落語を点字にして絵本にしたいんです」と伝えると、大内先生はこうおっしゃいました。
「それでは自己満足で終わってしまう」
ハッとしました。落語をそのまま点訳して冊子にしただけでは、視覚障がいのある子どもたちにとって「伝わる世界」にはなりません。
大内先生は、落語に登場する人やモノ、そして長屋などの建物や小道具を“触って楽しめる立体物”として3Dプリンターで再現するなど、「触ることで追体験できる仕掛けが必要」だと教えてくださいました。その言葉に、私ははっと目を覚まされた思いでした。
目が見える・見えないという違いを超えて、誰もが楽しめる「ユニバーサルな落語のかたち」。それを一緒に考えてくれる方々と出会えたことで、私の気持ちは一気に加速していきました。
最初の演目に選んだのは『まんじゅうこわい』。いろんなおまんじゅう、動物たちが出てきて、想像の余白が大きい噺です。視覚障がいのあるお子さんも、そうでないお子さんも一緒に楽しめるよう、点字・触図・立体模型・クイズ形式の演出と、盛りだくさんの工夫を盛り込みました。
制作には、海城中学高等学校模型部の皆さんも協力してくれています。若い学生さんたちが、3Dデータを試行錯誤しながら作ってくれたことが、私には本当に嬉しく、そして誇らしく感じられました。完成品をみんなで囲みながら、「これ、もっと触りやすくなるかもね」「長屋の屋根はこうしてみたら?」と意見を交わす時間は、未来への希望そのものでした。
また、点字図書館の嶋川久仁子さんには、触図の制作をご担当いただいています。元はアニメーターという異色のご経歴を持ち、現在は点字・触図の専門家としてご活躍です。彼女の手にかかると、物語に登場する「おまんじゅう」や「カラス」が、凹凸印刷で再現され、透明な触図として絵本に浮かび上がります。「触って楽しめるクイズ」にもなっていて、子どもたちが夢中で指を動かす様子が目に浮かびます。
そしてこの絵本には、私・昇吉の解説付き動画(字幕対応)と、3Dプリンターの出力データも巻末に付けました。今では多くの点字図書館や盲学校に3Dプリンターが備わっており、それぞれの現場で立体造形を再現していただける仕組みにしています。
私たちが目指しているのは、「誰もが落語を楽しめる世界」です。このプロジェクトを通じて、見えないバリアがふっと溶けて、人と人とが笑いでつながる瞬間を増やしたい。それが心からの願いです。
『てんじつき さわる えほん たのしいらくご① まんじゅうこわい』(合同出版)は、全国約150箇所の盲学校・点字図書館に寄贈されました。
この1冊は、はじまりにすぎません。第2弾、第3弾と、次の作品もすでに企画が動き出しています。
落語は、耳だけで楽しむものではない。
目を閉じても、手でさわっても、心で感じられる芸能です。
この挑戦を形にするまでに、たくさんの応援とご支援を頂きました。
こうした志を共にしてくださる協力者の皆さまに、心から感謝を申し上げます。
未来の読者たちの笑顔を思い描きながら――