「声がいい」──そのひと言が僕の背中を押した
「お兄さん、声がいいね」。たった一言の何気ない褒め言葉でしたが、私はその言葉に背中を押されるようにして、人生の舵を大きく切る決心をしました。
私が落語のボランティア公演を始めたきっかけは、学生落語の大会「策伝大賞」で優勝したことでした。嬉しさと同時に、「自分の落語で、もっといろいろな世界を見てみたい」という思いが湧いてきたのです。ホスピス、少年院、盲学校…普段の生活ではなかなか訪れる機会のない場所にも、自分から願い出て高座に上がりました。インターネットで施設の住所を調べては一件一件、手紙を送り、公演のお願いをする日々。お返事をいただければ嬉しく、日程が決まると前日から胸が高鳴ったものです。
数あるボランティア公演の中でも、今でも心に深く刻まれているのが盲学校での一日です。そこでは視覚だけでなく聴覚にも障がいのあるお子さんがいました。先生がその子の手のひらに私の話す物語の内容を指でなぞっています。まるでヘレン・ケラーのワンシーンのように、言葉を指先の動きで伝えているのです。正直、私は不安でした。目の見えない子どもたちに、果たして落語を楽しんでもらえるのだろうか。公演前に先生から「古典落語は難しいかもしれません」と耳打ちされたこともあり、緊張と心配が渦巻いていました。
けれど、いざ高座が始まると不思議なものです。そんな不安は一瞬で吹き飛び、目の前の高座に全力で集中しました。拙いながらも一生懸命に演じる私の噺に、予想を超える大きな笑い声が返ってきたのです。会場はたちまち温かな笑顔に包まれました。私は心の中で「通じた!」と叫び、胸が熱くなるのを感じました。子どもたちは息を詰めて物語に聴き入り、空気の震えさえ感じ取るようにじっと耳を傾けてくれていました。驚いたことに、私が演じ分けで体の向きを変えるたびに、その「カミシモを切る」動きまでも音の反響で察知していたのです。落語では登場人物によって左右を向き分けますが、視覚に頼らない彼らはわずかな声の方向や響きの違いから登場人物の位置関係を感じ取っていました。目が不自由な分、耳の感覚が研ぎ澄まされている――その事実を目の当たりにし、私は笑いの持つ力と、人間の感受性の豊かさに胸を打たれました。
終演後、子どもたちから素直な感想をもらいました。そこには一切の飾り気やお世辞がありません。「おもしろかった!」と笑顔で言ってくれた子。「声が聴きやすくて、情景が浮かんだよ」と教えてくれた子。そのどれもが、私には涙が出るほどうれしい言葉でした。最初はあんなに心配していたのに、終わってみれば私の方がたくさんの元気と勇気をもらっていたのです。なかでも、ひときわ印象的だったのは、ある男の子がかけてくれた一言でした。
「お兄さん、声がいいね」
その言葉を聞いた瞬間、私は思わず頬がゆるみました。そして同時に、胸の奥から熱いものがこみ上げてきました。もしその子に「面白かったよ」と言われていたら、私はプロの道を選ばなかったかもしれません。大学を卒業して会社勤めをしながら、趣味で細々と落語を続けていた可能性もあります。でも「声がいい」という言葉は、不思議なほどに心に響きました。笑いのテクニックや話の面白さではなく、私が生まれ持った“声”そのものをまるごと肯定してもらえた──そんな気がしたのです。自分にしかないものを認めてもらえた喜びが、体の芯を突き抜けました。
その瞬間、私は腹を決めました。この声で生きていこう。落語家として、この声で人を笑わせ、励まし、温めていこう──そう心に誓ったのです。学生生活の集大成ともいえるあの日の経験は、今でも忘れられない宝物になっています。見えないはずの世界に確かに何かが伝わったあの時、私自身も「見えないもの」が見えた気がしました。落語の持つ力と、人の持つ感受性の奥深さ。そして目には見えなくても心と心が通い合う奇跡があることを、あの日の子どもたちが教えてくれたのです。私はその奇跡の瞬間に立ち会えたことに感謝しながら、今日も高座に上がっています。