「落語家、俳句で食いつなぐ」
二〇二〇年の春。人々はマスク越しに不安と閉塞感を分かち合い、日常のほころびを縫い合わせるのに精一杯だった。外出自粛、寄席も中止。落語家にとって、こんなにも“声”を持て余す季節があっただろうか。
だが、そんな最中にも『プレバト!!』は続いていた。金曜の夜、画面越しに俳句を詠む。出演者の真剣勝負に、視聴者も心を預けていた。
忘れもしない、二〇二〇年五月七日の放送――
梅沢富美男さんが、ついに“永世名人”に昇格した回である。バラエティとは思えない緊張感、そして夏井いつき先生が思わず目頭を押さえたあの瞬間。関西で17.6%、関東で13.5%という高視聴率。
ちょうどその頃、私は『プレバト!!』に呼ばれ、初登場で“才能アリ1位”をいただいた。夏井先生は「とても良くできています!」と添削なしで褒めてくださった。志らく師匠は「ムカつきます」と言いながらも苦笑いしていた。番組ではのちに、最速特待生になった。
コロナ禍、落語会も講演会も、根こそぎ飛んだ。だが、俳句をやっていたおかげで、こうしてテレビの仕事をいただくことができた。そのほか、私は環境変化に抗する収入源の多様化として、原稿執筆、大学での授業、ラジオ出演、さらには株式投資まで、さまざまなことに取り組んでいた。
そんなある日、昇太師匠から電話がかかってきた。
「昇吉、元気か? 大丈夫か?」
「ええ、『プレバト!!』も好調で、行政の支援もあって困ってません」
と口にしたが、あとから聞けば、「困ってる」と答えた弟子には師匠から十万円が下賜されたとか。昇太給付金。私だけ、もらっていない。今思えば、「困ってます」と口先だけでも言っておけばよかった、と後悔した。
やがてコロナが落ち着くと、『プレバト!!』の知名度で地方営業の声も再びかかり始めた。俳句のおかげで、リアルの落語に戻った時も、より多くの人が私を知ってくれていた。「あの『プレバト!!』の人だ」と声をかけられることも増えた。
思えば、マスク越しの時期を乗り越えられたのは、“俳句力”だけでなく、“多動力”のおかげだったように思う。しかし、唯一、私になかった力が、「困ってます」と、とっさに言える“機転”だった。
世の中、練りに練った「一句」より、とっさの「一言」が大事だと、つくづく思ったのである。