「将来どうするの?」って、こっちが聞きたいよ。

「どうして東大を出て、落語家になったんですか?」
二ツ目になってからというもの、取材を受けるたびに必ず聞かれるこの質問。
丁寧に聞かれる分だけ、ちょっとだけ胸に刺さるんです。
僕の答えは、いつもシンプルです。
「落語が好きだから」

以前、ある雑誌の編集者の方が、取材の依頼メールにこう書いてきました。
「東大卒という、就職が楽になる学歴を持ちながら、雑巾がけから始まる世界に飛び込まれた理由をお聞きしたい」。
なんだかツッコミどころがいっぱいです。
まず「就職が楽」って、どこの情報でしょう? 東大を出たら簡単に内定が降ってくる、そんな話は聞いたことがありません。実際には、外資、コンサル、法曹界——どこも超・狭き門。
大学の門より、その先の就活の扉の方がずっと狭い。
それから「雑巾がけ」。確かに落語の修業では掃除も大事な仕事です。

でもこれは単なる苦行ではなく、芸の一部なんです。墓掃除が清掃作業ではなく、宗教行為であることと同じです。

そう言いつつ、自分の部屋は正直あまり掃除してないんですけどね……。

その編集者さんはさらに、「これまでのキャリアを“捨てる”覚悟が必要だったのでは」とも書いてくださいました。

雑な言葉使いをする性格なのか、世界認識が平板なのか、職業柄わざとわざとそういう切り口で事象を料理、味付けして提示しているのか、わかりません。

わたしには、宇宙人に見えます。

これまでに培った知識や経験も、人との出会いも、自分という人間の一部として、ちゃんと落語に影響を与えています。
僕の友人には、メガバンクに勤めている人、弁護士、官僚になった人もいます。でもたまに会うと、よくこう言います。「もう辞めたい」って。

こっちはこっちで、一日数千円の仕事に四苦八苦してますが、あちらはあちらで数億円を動かす責任が重たいようです。

正直な話、僕は庄司薫や大江健三郎のような人生に、憧れていました。

本を読み、書くだけで生きている。

現実は、空気を「読み」、汗を「かいて」生きている。

もしも誰かが一日中パソコンの前で株を売買して億を稼いだとしても、僕は一日中、好きな本を読んで、好きな噺をして、たまにはお客様から「今日よかったよ」と声をかけていただける。

そんな積み重ねです。