『マックス・ウェーバー』

『マックス・ウェーバー』

近代と格闘した思想家

野口雅弘

中公新書

 

7

従来下品として行なわれていなかった生産者からの積極的な売り込み営業。革新的なビジネスは伝統的な商売の仕方をしている同業者から反発を受けるが、結局は同業者も生き残るために新手法を受け入れなければならなくなる。

 

12

ヘレ-ネの母はフランスのカルヴァン派新教徒のユグノーの家系。

1685年、ナントの勅令が廃止され、多くのフランスユグノーが外国に逃れた。

ウェーバーといえば、ドイツナショナリストという印象が強いが、母方の先祖はコスモポリタン。

 

17

正義がなくなるとき、王国は大きな盗賊団以外のなにであろうか

 

20

「二つの立法」のはざま

①キリスト教

②祖国に対する義務

 

28

ウェーバーの専攻は法学。彼は大学で社会学を学んだわけではない。

 

68

客観性。

私たちは何らかの観点に立脚してものを見ている。主観的な観点なくしてものをみることはできない。

「観点」の自覚化、が必要。

 

69

自分が社会を観察するときの「観点」を自覚していないと、知らないうちに「事実」の名のもとに「観点」が自然化されてしまう。

 

74

イェリネクは、人権の起源について、革命の産物ではなく、宗教改革およびその闘争の果実としている。

 

105

国家が成り立つためには、暴力を承認し、少なくとも黙認する根拠となるレジティマシー(正統性・正当性)が必要

 

106

国家に物理的な暴力行使の独占は自明ではなかった。

義勇軍(失業者などよって構成された)。

ナチ党は親衛隊SSや突撃隊SA

ドイツ共産党は赤色戦線戦士同盟RFB

 

113

リップマン

「ありのまま」を伝えようとしても、目に映るのは混沌としたカオスに過ぎない。「われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る」

 

117

社会的平等や民主化を掲げているまさにこのSPDにおいて、党勢が拡大するとともに、組織が官僚化し、一部の幹部党員による非民主的な傾向が進んでいく。ミヘルスはこの傾向を「寡頭制の鉄則」と呼ぶ。

 

127

ウェーバーが注目し、抗おうとしたのは、官僚制化。

20世紀になって、社会保障制度が拡充され、国家が担う行政事務が増大した。行政事務が複雑化すればするほど、行政の論理が政治の論理を圧迫し、テクノクラシーの論理が支配的になる。

 

144

脱魔術化、魔法がとける

かつてあれほど強かった心理的呪縛が、まるで嘘のように解けていく

カント=啓蒙

全てのものを計算によって支配できるということを知っており、信じている

 

147

人間の行為を直接に支配するものは利害心であって、理念ではない。しかし、理念によって作り出された世界像は、きわめてしばしば転轍機として軌道を決定し、その軌道の上を利害のダイナミズムが人間の行為を推し進めてきた。

 

158

宗教分類

①現世の快楽を肯定 と 世俗の論理からの救済を求めるか

②禁欲(目的達成のための生活の規律化) と 神との神秘合一、瞑想

 

163

日本社会のエートスは宗教以外の封建的な構造によって規定されている

 

172

ウェーバーは典型的なオリエンタリスト

オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋のスタイル

 

189

現実とは、既成事実。

現実的たれということは、既成事実に屈服せよということにほかなりません

 

198

「選挙独裁」的なデモクラシーに傾いている

 

203

比例代表制は、政党間の協力を不可避とし、小異を抑えて最重要の共通関心事において結合する必要性を、選挙民の領域から議会の領域に移すと言ういみをもつ。

選挙では多様な意見を吸い上げ、議会で討論と妥協形成をすればよい。

 

205

伝統も規則も信用できなくなっているところで人になにか押し付けるには、「忘我」的な要素、つまり情念の動員が欠かせない。

 

206

ニーチェ「神は死んだ」

ウェーバー、かつて神が担っていたものがカリスマにゆだねられる

 

211

彼の唱えた強力な人民投票的な大統領制の構想がヒトラーの登場の露払いをしたのではないかという論点

 

232

近代日本の経済成功。プロテスタンティズムの機能的代替物。

石田梅岩の石門心学。正直、倹約、勤勉。

近江商人が、日本の初期近代の資本主義に多大な影響を及ぼした。

 

241

原文と翻訳を行き来するなかで、自らの言語にまとわりつく自明性は揺さぶられ、新たな思考が始まる。

 

243

ウェーバーがニーチェを読んでいたことは間違いない。

ニーチェの後継者として、ウェーバーを解釈することは説得的である。

 

245

ありのままの自分を認めようとすれば、そのありのままの自分が自明視しているものを問題化することができなくなる。

 

247

何が「善き生」なのかをめぐって異なる観念をもった人々が平和的に共存するためには、ある特定の宗教に依拠した観念を前提とすることはできない。